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深川15
 深川
 十五話



 九峪が志野達に連れ去られたと情報が入って直ぐ、私は火向を閉鎖するように兵を出させた。
 主だった街道を閉鎖させ、海にも目を光らせる。
 だが、今の状況を考えれば九峪一人の捜索にそれほど兵を割くわけにもいかない。
 何より他の勢力に九峪の事を悟られることの方が、よっぽど状況が悪化する。

「狗根国の遠征軍ももうじき到着するというのに、今の時期に大規模に軍を動かすことは不可能です」

 亜衣はしかめっ面でそう応じた。
 分かってる。それも全て。

「とは言え大事なお客人。火魅子様も気が気ではあるまいし」
 元耶麻台国副国王伊雅は、渋い顔で擁護してくれるが亜衣に賛成なのは見て取れた。
 伊雅は九峪の価値を知らない。だから単純に私の友人一人の為に、この重要な時期に軍を私用で動かすことの愚を知っているのだ。そして、九峪の事をばらすことは今の段階では到底出来ない。

「清瑞も付いておりますし、いずれ場所の詳細ならばしれましょう。あまり急かずともよろしいのでは?」
 乱破として優秀な清瑞。
 確かにそれが唯一の頼みとは言えたが、それでもどこまで信用していいものか。
 亜衣の息がかかっていないとは断言できない。

「……そうね」
 最高権力者として、ごり押ししようと思えば不可能ではない。狗根国軍の二万や三万如き、私が直々になぎ払ってもいいのだ。だが、私の力とて無尽蔵ではない。疲弊すれば寝首を掻こうとするものは、敵味方どちらにもいるのが現状だ。
 おいそれと切り札は切れない。

「ご理解して頂ければ何よりです。何、その内清瑞から情報が入りましょう。志野も九峪殿を傷つけるなどとは思えませんし、場所が判明次第動くと言うことで」
 亜衣はそう言って話は終わりと席を立った。

 九峪が攫われたという情報が入って、その首謀者が志野であると情報が広まって、川辺城の中は若干であるが騒々しい。
 ため息を吐いて、これからどう動くかを思考していた私は、その何処か浮ついた空気が更にざわめきを増したのを感じた。


 廊下を走る足音。

 駆け込んできた衣緒。

「魔兎族達が、深川を連れて!」

 嫌なことは重なる。

 想定できる範囲の出来事に考えがまるで至らなかった自分に、自嘲的に笑って見せた。






 あぅあぅ。
 死にそうですよ旦那。突然森の中で拘束されたと思ったら、その俺を庇うように変な女が木の上から振ってきて、今志野と珠洲の二人相手に殺し合いしてます。

 こっちは拘束されたまま動けないって言うのに、遠慮無く存分に殺し合いですよ?

 流れ弾は飛んでこないけど、珠洲って少女の使ってる糸が時々逸れて、髪の毛が飛んだり頬が切れたり、頭の上から枝が降ってきたりと、なんだか生きた心地がしません。

 心の平穏が長続きしない自分の人生を本気で呪いたい今日この頃。

 誰かこの拘束解いてくれないかなぁ。その辺でこっそり泣きたいから。


「ふぅ。さすがに二人相手は厳しいか」
 変な女は(志野が清瑞とか言ってたから多分清瑞って名前なんだろう)俺を庇うように立ちながら、額に汗を浮かばせている。

 一方志野と珠洲は、一対二という有利な状況にもかかわらずその表情は厳しい。

 傍目に見ても清瑞一人の力量と、二人合わせた力量は同じくらいだ。だが、まぁ、どちらが不利かと問われれば、それは明らかに清瑞の方、だと思う。

 だって、志野達は……

「座長、手伝おうか?」
 街道の方から織部が現れる。

 そう、増援があるのだ。イマイチ一座の人間の力量は分からないが、さすがに一人で相手に出来る人数じゃない。

 志野も多分それを待っていたんだろう。清瑞に向けて挑発的な笑みを浮かべた。

 一方旗色が一気に悪くなった清瑞は、ちらりとこちらを一瞥する。

「おい」
 ぶっきらぼうな問いかけ。
「な、なんだ?」
「死にたくなければこいつ等に協力的にしていろ。命までは取られんはずだ」
「逆らうだけの勇気など持ち合わせておりませんが何か」

「……ふん。だろうな」
 鼻で笑うと背中を向けて走り出した。
 逃げ足も速い……、と思ってると後方で呻く声が。
 首だけ動かしてそちらを見てみると、足に矢を刺されて倒れている清瑞の姿があった。

「……何事?」
 首を傾げる。

 悔しそうに志野を睨んでいる清瑞。視線の先にある志野はしてやったりと言う表情をしていた。

 ………………わからん。

 が、想像するに多分清瑞を罠に嵌めたと言うことなんだろうが。

「済みませんね九峪さん。少し利用させて貰いました。私どもに貴方を傷つける意志はありませんので、安心なさって下さい」
 などと白々しく言って珠洲に合図を送ると、身体を拘束していた糸が緩んだ。

「……利用ねぇ。え~と、なんだろ?」
 頭の回転がよろしくない俺は、取り敢えず聞いてみる。

「そちらの清瑞さんが貴方に張り付いているだろう事は伺っていましたので、それをおびき出すために一芝居売ったと言うことです。これから逃げないと行けないというのに、尾行が付いていたのでは台無しになってしまいますから」
「ああ、なるほど」
 ずっと付いていたのか……。全然気づかなかった。

「さて、それで貴方の処遇ですけど」
 志野はそう言って倒れている清瑞の方へと歩み寄る。

「……」
 黙って睨み付ける清瑞。
 うむ、怖いなぁ。女が怒った顔ってなんであんなに怖いんだろ。
「……志野」
 このままだとなんだか清瑞って女が殺されそうだと思ったので、声を掛けてみた。
 志野はにこやかにこちらに向き直る。

「なんでしょう?」
 その笑顔は、俺に一切の口出しを禁じる強制力を秘めていた。
 ものすごい威圧感のある笑み。

「あ、あぅ……。なんでもないです……」
「そうですか。さて、それで清瑞さんですけど」
 すっと、志野は柄の両端に刃の付いた剣を清瑞ののど元へと突き付ける。

「やはり殺しましょう」
 そう言って剣を振るった。





 血が飛び散る。



 思ったほどの出血ではなかったが、それでもあふれ出た血は少なくもない。


 目を見開いている清瑞。



「クソ、冗談じゃねぇ」


 口の中だけで呟いて、肩から背中に走る痛みを堪えた。

「お前、なんで……」
 清瑞の押し出すような言葉。
 それは困ったように首を傾げている志野や、周りで見ている一座の連中にも共通した感想のようだ。
 まぁ、確かに護衛対象が護衛を身を投げ出して庇ってたんじゃ本末転倒だ。

 だが、だからって、これ以上クソみたいな光景見せられてたまるか。

「志野、殺すな」
「命令できる立場ですか?」
「うるせぇっ! どいつもこいつも二言目には殺す殺すって、なんなんだよお前等は! 別に殺す必要なんてないじゃねぇか。どうせだからとか、事のついでにとか、念のためとか、精神衛生上とか下らない理由で人を殺してるんじゃねぇよ! ふざけんなっ! バカかお前等は!?」
 その言葉の意味を、誰一人理解していない事も知っている。



 嫌と言うほど知っている。


 深川という実例を見て、あれが多少極端にしろ、似たような考えが一般的であろう事も理解した。

 せざるを得なかった。

 畜生。

 あの日魅子を見たとき、本当に何も気づかずにいられたなら、俺はどれだけ幸せだった事だろう。
 十数年一緒だった奴の、変化に気づかないほど俺が間抜けだとでも思うのか?
 あいつが変わらざるを得ない世界。それは、深川が何度となく語った言葉に倍して俺にこの世界の残酷さを理解させた。

 殺さなければ生きていけない、ではなく、生きるために殺すという選択肢が公然として存在する世界。
 殺すことが行為として、禁忌からはほど遠くなってしまっている倫理観。
 日常なのだ。殺すことも殺されることも、奪うことも出し抜くことも、そして裏切りさえも、全て生きるための手段として容認され、それを誰も躊躇しない世界。


 嫌になる。



 そんなことは間違っていると思う自分が間違っている事を、理解してしまった自分が何より嫌だった。

 冗談じゃねぇ。

 そんな事を認めてなるものか。
 そんな世界をそのままになどしておけるものか。

 どんなにそれが傲慢な事か分からない。

 だが、それでも俺は世界を変えたいと思った。

 俺のためだけに、俺が住みやすい、元生きていた世界と同じにしてやろうと、この時本気で願望した。

 多分、キレたんだと思う。

「必要ならありますよ。足を怪我した程度では、すぐに情報は川辺の方に伝わるでしょう。そうなっては不都合ですからね」
「……ああ、なるほどね。全くどいつもこいつも素敵な頭してるんだから」
 一々突っ込まなくていいぞ。俺の方がめでたい頭だと言うのはもう理解したんだからな。

「正直俺にどんな利用価値があるのか、大して理解も出来ないし、今後の先行きがものすごい不安でしょうがないが、それでも俺を連れ回す気だと言うならばこれだけは誓え。俺の前で俺の認めない一切の殺生をするな。コイツも殺すな。手当をしろとまでは言わないから、せめて放っておけ。足止めは出来たんだから、それでいいだろう? もし殺すと言うなら、俺を先に殺せ」

 死にたいと思ったワケじゃなかったし、殺されない確信があったわけでもなかった。

 ちょっぴり自暴自棄だったのは認めるが、それでも俺はこの時引く気が全く無かった。目の前にいたのが深川でも、多分一緒だっただろう。

 本人の口から自己紹介すら受けたことのない、見ず知らずの女の為に、命を投げだす無意味さは気にならなかった。
 ここで殺せば、俺はまた見逃す。

 ならば同じだ。
 目的を達するために、志を捨てることがあるならば、その時は潔く死んだ方ましだ。

 少し男前に考えて、自己陶酔に浸る。

「では、遠慮無く」

 志野は躊躇しなかった。

「え? ウソ……」

 認識の甘さ、だろうか。明らかに殺傷目的で突き出された志野の剣が、まっすぐに俺の胸へと突き立っていた。

 胸に痛みと言うよりは、耐え難い熱さのようなものを感じたと思った次の瞬間、俺の意識は暗転していた。













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【2006/09/28 16:43】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
深川14
 深川
 十四話



 てっきり川辺の街中で興行している間の雑用だと思っていたのに、気づけば街を出ていた。
 ……なぜ?

 そもそも雑用をやれといわれたのだが、俺は右手が目下のところ故障中で何もできない。口出しすることもできないので隅のほうで小さくなっていることくらいだ。
 そもそもこんな状態でなんで芸人一座なんかに……謎だ。
 日魅子のやつ一体何を考えているやら。

 荷馬車の横を歩きながらそういえば何処に行くのか聞いていなかったことを思い出す。
 いくらなんでもそれくらい聞いておけというんだ。まぁ、どうせこの辺の地名など何一つ知らないのだとしても。

「志野。一体どこに行くんだ?」
「さて、何処にしましょうか」
 志野はとぼけたことを言った。
 俺が顔をしかめると鈴が鳴るような笑みを零して、そっと俺に耳打ちする。

「少し、お話があります」
 そういって意味ありげに俺の右手を引っ張る。
 負傷中の右手は私見で全治一ヶ月の重症。カルシウムが足りなかったのか中指骨が軒並み全滅。これからの先行きが不安なことこの上ない状態だった。

 苦痛に呻きながら森の中に引っ張っていかれた俺。

「し、志野。い、痛いから、はなして」
 泣きそうになりながら言うと、慌てたように手を離す志野。
「すみません。つい」
 何がついだ。にこやかに謝りやがって、この確信犯め……

「で、話って? なぜか知らないが女性と一対一になると膝の震えが止まらないから早くしてくれると助かるんだけど……」
 そうなのだ。軽い女性恐怖症。いや、複数人なら大丈夫なんだけど、こういう寂しいところで二人きりだとトラウマが……

「実は、火魅子様はあなたがここにいることを存じておりません」
「なぬ?」
 嫌な予感がヒシヒシと。

「それは、どういうことかな?」
「実は亜衣さんにあなたを連れ出すように頼まれました」
「……話が見えないのだが。密かに消してくれとでも頼まれたのか?」
「まさか。そんな勿体無い」
「も、勿体無い?」
 さらに困惑する俺。

 なんだ? やはり俺には俺には知らない何らかの利用価値があるってことなのか?
 でも、単純に思いつくことだと……

「むぅ。亜衣さん謀反でも考えてるのか……」
 体のいい人質。それくらいしかないだろう。
 日魅子を傀儡にするために俺を利用する。まぁ、間違っちゃいない。でも、そんなことわざわざしなくても大丈夫な気がするけどなぁ。

「じゃあ、志野もグルってことでいいのか? それだとわざわざ教える意味がよくわからないな」
「ええ、もちろんグルなどではありませんよ」
 そう言ってニコやかに微笑む志野。め、目が笑っとらん!


「じゃ、じゃあ親日魅子派?」
 そんなものあるのかどうか知らないけど……

「いいえ。フフフ、私ほどあの人を恨んでいる人はいないと思いますけど……、ですがそれとこれとは別問題です」
 日魅子を恨んでいるけれど別問題。
 と言う事は、日魅子と俺を連れ出したことは関係がない。
 ならば俺はなぜここに?

「あなたが、きっと鏡の手がかりを知っているはずです。何処ですか?」
「は?」
 鏡? 鏡って鏡だよな?

「え~と、あいにく俺は何も持ってないし、心当たりもないけど?」
「そんなはずはありません! 鏡はあの深川が持っていたんですから!」
 その叫びに俺は首をひねる。

 深川、鏡なんか持ってたかなぁ。使ってるの一度も見たことないし。

「まぁ、確かに手荷物なら持ってたけど、その中にあったかどうかなんて知らないなぁ。大体深川だぞ? 荷物に無断で手をつけようものならどんな目にあうことか……」
 う、想像しただけで吐き気が。

「……でも、私なら必ずあなたに」
「いや、志野と深川はだいぶ違うと思うけどなぁ。そもそも大事なものなんだったらあいつ俺に絶対預けないと思うけど……」
 そこまで信用された記憶もないし、そもそも信用なんてあいつがするとも思えない。

「そうですか、あくまで黙秘を決め込みますか」
「え、いや、そういわれても本当に知らないし……」
 遺憾なことに志野は俺がとぼけていると受け取ったらしい。

 その顔から表情が消え、まるで虫みたいな無機質な目で俺を見据える。
 虫の目も有機質だが、そんなくだらない突っ込みは置いといて……

「珠洲」
 名前をつぶやいたと同時に、俺の体は木に括り付けられていた。






 ……生きてる。
 手足は――動く。
 思考もはっきりしている。

 身体全体がまだ苦痛に疼くが、それでも状態としてはそれほど悪くない。
 とは言え、この状態で単独で逃げ出すのは不可能か……

 僅かに身じろぎすると身体を釣り上げている鎖が擦れ合い、金属特有の音を発する。
 目を開き、室内を見回すが今は誰もいない。

 高を括ってくれるものだ。
 だが、好都合。
 時間の感覚がはっきりしないが、亜衣が消えたと言うことは日中だろう。

「そろそろ、か……」
 顔を上げると、軋むような音を立てて分厚い木製の扉が開いた。

「まだ生きているか」
「勝手に殺すな」
 待ち人は私の方にまっすぐ歩いてくると、手を縛り上げていた鎖をその手で引きちぎった。

 支えが無くなり、私は床に膝を突く。

「手ひどくやられたものだ。まぁ、五体がくっついてるだけマシか」
「それより、早く行くぞ」
「……そうだな。姉様に見つかると拙いからな」
 そう言って私を担ぎ上げたのは、魔兎族の次女。兔音だった。

「あらかじめ聞いておくが、本当にあいつがそうなんだろうな」
「……ああ、間違いない。だが、それには天魔鏡が必要だ」
「それならばお前が……」
「ともかくここから脱することが先だ……」
「わかった」

 全ての願いが叶う扉。
 それを開くために必要な鏡と剣。

 私はそれを手に入れなければならない。

 いや、私だけが……

「どこに行くのかしら? 兔音」
 部屋を出ようとした直後、一番厄介な輩が道を塞いだ。

「姉様……」
「説明しなさい。なぜ、こんな真似を?」
 幼い顔に浮かべた笑みに、兔音は戦慄している。
 実感こそ湧かないが、この見た目幼女の魔兎族は、その実この世で最も強い。

 打倒する術はある。
 だが、この場でその条件を満たせないのも事実だ。

「……兎華乃とか言ったな。お前は、欲しいものはないか?」
 掠れた私の声に、片眉を吊り上げる兎華乃。

「欲しいもの? 私をもので釣るつもり? 生憎だけど……」
「鏡と剣……。欲しくはないか?」
 精一杯の笑みを向けた私の言葉に、兎華乃は目を見開いた。

「鏡と剣……。いえ、でも鏡はともかく剣の方は」
「既に半ば手中にあると言うのにか?」

 兎華乃は瞬時にその言葉の意味を推測した。

「九峪……さん?」

 答えの変わりに笑みを浮かべてみせる。

「そんな、でも、彼は人間でしょう?」
「異世界のな。鏡の場所は半ば分かっている。おそらくそれが近づいたが為に、あいつがこの世界に召喚された」
「……なるほど。鏡は貴方が持っていたの。てっきりあの女の私怨で拷問しているのだと思っていたけれど。ふぅん」
 本当なら、コイツを仲間に引き入れたくはない。

 これは賭だ。
 叶えられる願いが一つであるのならば、その後は血みどろの闘争となる。

 その時、私は勝たなければならない。何とも嫌な展開だ……

「……まぁいいでしょう。現状私が耶麻台国にいる理由は何も無いのだから。でも、大丈夫かしら?」
「何がだ?」
「九峪さんがそうだと、日魅子は気づいているわよ? そして亜衣も。でなければ対応がおかしいし」
「九峪など後回しで構わない……。鏡が手に入れば、剣は自ずからやってくるのだ」
 遙か昔の伝承。どこまで本当かなど誰にも分からない。

 だが私には確信がある。

 その伝承が真実でなければ、九峪は私の前に現れなかった。

 その事実こそが全てを物語っている。

「そうね。とにかく此処を出ましょう。話はそれからよ……。どのみち九峪さんももう此処にはいないのだし」

 兎華乃の何気ない言葉。


 つい数秒前にどうでもいいと言ったはずなのに、なぜだか私はその台詞に胸がざわつくのを感じていた。













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【2006/09/25 16:53】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
深川13
 深川
 十三話



 ズキズキと額が痛んで頭がボウッとする。
 なんでこんなに痛いんだったか思い出そうとするが、どうもそれも上手くいかない。
 思い出したように右手からも痛みが伝わってきて、その痛みに目を覚ました。

「あ、起きた」
 何故か寝ている俺の枕元に座っているのは、見た事もない少女だった。
 目つきが悪いことを除けば、美少女と言ってもいいかもしれない。まぁ、生憎とそっちの趣味はないので首尾範囲外であることは間違いないが。

「誰だ? 俺は一体……」
 身体を起こして辺りを見回してみるがやはり見覚えがない。壁の変わりに布でしきりがしてあって、見た感じテントみたいだ。
「……起きたんならさっさと出て行って」
「え、ああ」
 ぶっきらぼうな少女に当惑しつつ、身体を起こそうと手を突いて激痛に身体を丸めた。

「ぐ……っ!!」
 そう言えば拳が壊れていたんだと思い出し、おそるおそる目をやると包帯でぐるぐる巻きにされていた。くそ、これでは一人でメシも食えない。
「喧嘩売るなら相手くらい選んだ方がいいよ」
 少女のありがたい言葉に、記憶がようやく蘇る。

「ああ、そっか。そういえば蘇羽哉は?」
「先に帰った。日魅子に絞られてるんじゃない?」
 しれっととんでもないことを言って、早く戻らないとと慎重に立ち上がり、布キレの敷居をくぐる。
 
 その瞬間、思考が停止。



 ――そこはパラダイスだった。


 まず目に飛び込んできたのは街中で惜しげもなく裸体を晒したあの刺青女。確か織部と蘇羽哉が言っていたか。腰と胸を申し訳程度に布で覆っただけの現在の格好もイイ。乳も尻も通常の規格からははずれていて、職人さんありがとうと言ったところだ(?)。
 次に見えたのは金髪ショートカットと、黒髪のロングの二人組。二人とも織部には一歩譲るが、それでも抜群のプロポーション且つ容姿端麗。こちらを見て何故か浮かべる企みの眼差しが怖かったが、それはこの際置いておこう。多分些細なことだ。
 そして、そしてそして、最後を飾るのは頭の上で髪をまとめた、同い年くらいの少女だった。
 少女、と言う年齢ではあるが、その容姿、肢体、ありとあらゆる身体の構成が神の領域。正直現代でもこれほどの美女に見えたことは無い。透き通るような肌に全体のバランスを考慮に入れた絶妙な乳と尻。そして腰のくびれから整った顔立ちまで、文句の付けようが一切無い。

 その上、織部と同じかそれ以上に薄着だし。

 俺の鼻の下は一瞥してから一瞬で三センチは伸びた(推定)。

「……あら、目が覚めましたか」
 そう言ってにこやかな笑みを浮かべて、神の造形品が目の前に立つ。

 ――うわぁ。顔ちっちゃい。肩幅狭い。滅茶苦茶綺麗。剥製にして床の間に飾りたいなぁ。

 アホな事を考えていると、それを気にした様子もなくぺこりと頭を下げる。

「芸人一座の座長で志野と申します。お話は蘇羽哉さんの方から、かいつまんで聞いておりますけれど」
「え、ああ、そう? って、やっぱり芸人なのか……」
 織部を見た瞬間にそれくらいは分かっていたが、それにしても目の前の少女が座長というのはなんだか……。年齢的にもかなり若いし。若いというか幼い。まぁ、別にいいか。似たような歳で日魅子は女王様であらせられるわけだし。でも実力でなってるだけ志野の方がやはり凄いな。

「もうお加減の方はよろしいのですか?」
「ああ、うん。ありがとう。と言っても微妙に記憶が混乱してるんだけど。助けて貰ったのかな?」
「ええ、まぁ」
 何とも言えない表情の志野。

「気にするなよ。助けたって言っても偶然だからな」
 苦笑しながら言ったのは織部。

「偶然?」
「ああ。オレの演目が終わった後で騒ぎを起こされたもんだから、客が引いちまってな。騒ぎを起こした馬鹿を一発ぶん殴ってやろうと思って捜してたんだよ」
「ああ、そりゃまた済まなかった」
「そしたらその当人の片方は耶麻台国のお偉いさんだって言うんでな。間違っても殴るわけにもいかねぇし」
「殴っても良かったんだけどなぁ」
 苦笑すると織部が腰を上げて、俺にぐいっと近づいてきた。

「あん? 本当にやるぞ?」
「織部姉さん止めて下さい。火魅子様の逆鱗に触れますよ?」
「ふん」
 志野に止められて織部はすごすごと引き下がった。さすが座長本当に殴られたらどうしようかと思った。

「迷惑掛けたみたいで済まなかった」
「いえ。そんな事はありません」
「さて、じゃあ俺は宮城に……」
「お待ち下さい」
「ん?」
 がしっと俺の腕を掴んだ志野の瞳が、何故かしらキュピーンと擬音混じりで光ったような気がした。

「な、なんだ?」
「火魅子様から迷惑分働かせるように仰せつかってますから、暫くこの一座で雑用して下さいな」
 ニッコリと笑ってお願いされた。

「……ええと、日魅子がそう言ったのか?」
「はい。いい社会勉強になるからと」
「は、はは」
 俺は乾いた笑いを零すと、がっくりとその場に膝を付いた。






 各地から送られてきた陳情の書かれた竹簡の山を亜衣と共に捌く。
 まだ復興して間もない耶麻台国だけあり、また実質支配体制のそう取り替えでもあるから、中央に寄せられる陳情の量は膨大なものになっている。最高権力者として一日の大半はこのような雑務に追われることになっていた。
 だが、正直に言うならばこちらの方が性に合っている。
 戦争で、人を殺すよりは随分と……。

 徹夜で深川の拷問を楽しんでいた亜衣は、疲れは見えるがまだ興奮が残っているのか視線が怖い。巫女としてあるまじき空気を纏っているのが火魅子になった私にははっきり分かったが、今の亜衣は巫女として私に仕えているわけではないので何も言わない。言えば聞く人でもないし。極刑確定で、生かしておくわけにはいかない罪人相手に楽しむ分には、目を瞑らなくてはならないだろう。

 とは言え……

「どう? 深川は吐きそう?」
 仕事をこなしながら何気なく聞くと、亜衣も手を休めることなく質問に答える。

「やはりしぶといですね。ですが時間の問題でしょう。頭のおかしい女ではありますが、それでも大分憔悴してきました。……そうですね、二、三日中には例のものの場所も……」
 クスクスと笑いながら楽しそうに語る亜衣。

「分かっていると思うけど、殺したり壊したりしないでよ? 拷問が目的じゃないんだから」
「分かっておりますよ。まだまだやり足りないですからねぇ。ええ、壊したり殺したりなど頼まれてもやりません」
「……まぁ、適任が貴方しかいないから任せるけど。こちらの仕事も減らすわけにもいかないし、大変でしょうけど頑張ってね」
「はい、お気遣いありがとうございます」
 そう言って頭を下げる亜衣。

 亜衣が拷問に精通しているのは反乱軍時代に、敵を捕獲したときに情報を引き出すために身に付いたらしい。私が九州に来るまで満足な反乱も起こせなかった時分の事だ。来るべき日に向けて亜衣は情報をより多く集めることに固執していた……と言い訳していた。
 が、それは建前な様な気がする。
 こんな九州の片田舎で捕らえることの出来る狗根国の関係者など、通常で考えれば下っ端の兵士くらい。とてもではないが拷問したところで有益な情報など得られない。そもそもそんな要人がうろつくような場所でもないし、うろつくにしても少数の反乱軍に捕らえることの出来るような警備で出歩かない。
 やはり趣味なんだろう。

 羨ましいとは思わないが、そこまで血や悲鳴を好きになれるなら、私ももう少し楽だったろうに。まぁ、同じ事かもしれないけど。人を殺しても何も感じなくなってしまうことも、それを好むことも。

「そう言う火魅子様の方は、どうなりました? あの剣の男は」
 剣の男……。

 今のところ、その事実を知っているものは極少数。だが、勘付きはじめている者もいるだろう。
 深川が奪った例のものの事を知っているもの。
 九峪が異世界から突如現れた事実に目を付けたもの。

 確証をもてるのは私だけのはず。
 今目の前にいるこの女も、いずれ必ず裏切るだろう。

「蘇羽哉と一緒に街に出て行くと言っていたけれど。まぁ、心配はいらないでしょう。清瑞を貼り付けているしね」
「なるほど。それならば……。しかし大丈夫ですかね。今街には例の一座の者達が来ていると噂に……」
「え?」

 例のなどと言うまでもなく、亜衣の口から出る一座と言えば志野達の事だろう。
 だけど、志野達は……

「くっ! 直ぐに呼び戻さないと」
「お待ち下さい。火魅子様直々に出て行かれては騒ぎになります。城下のものも火魅子様の顔は大概知っておりますから」
「けど、九峪が!」
 叫んだ瞬間、亜衣がニヤリと笑った気がした。

 いや、表情は何一つ変わっていない。

 だが、確実に笑った。

「ともかく、早急に呼び戻すように兵を出します。私はこれで……」
 楽しげに笑う、亜衣の後ろ姿。

 出来るだけ素っ気なく、九峪の間での顔は演技だと思いこませていなくては、いずれ九峪は私の弱みになる。

 そんなことは分かっていたのに、つい顔に出た。

 笑いたいだろう、亜衣。
 その気持ちは、分かる。

 だけど、九峪に何かあったら……

 その時は――













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【2006/09/19 16:34】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
深川12
 深川
 十二話



 爪を剥がされた指を、まるで慈しむかのように丁寧に赤い舌がねぶる。
 僅かににじむ血に舌の赤みが更に増し、その味に恍惚としたように瞳が潤む。
 痛みが全身を硬直させ、思考が上手く定まらない。

 舌が放れ、女が口元を拭っている間も痛みは引かない。

 そしてまた次の苦痛が私を襲う。

 足の裏に押しつけられた灼けた石。狂ってしまいそうになる痛みに、口からは獣の様な咆吼が漏れた。

「始めの威勢はどうした? まだまだこれからだぞ」

 女の台詞に閉じかけた意識が再び蘇る。

 ああ、そうだ。しっかりこの苦痛を覚えておかなくては。

 後で殺すんだ。

 この苦痛を何倍にもして。

 この屈辱を、万倍にして――






 川辺の街を見物するのは単純に楽しかった。
 見慣れない場所を観光しているような気分で。
 我ながら現実逃避しているなとは思う。それでもお気楽なのは産まれもっての性分だから仕方ないだろう。悲観的になっていいことなんて一つも無いんだから。

「九峪さん、何か欲しいものがあれば言って下さいね。多少は融通しますから」
「え、いや、そんなの悪いだろ」
「遠慮ならなさなくてもいいんですよ。まぁ、あまり無理を言われても困りますが、市井で買えるようなものであれば何なりと」
 蘇羽哉はそう言ってにこやかに笑う。

 彼女は俺と一緒にいて楽しそうだった。何故かは分からないが、そう言う態度でいる。日魅子の知り合いだからって気を使っているのだろうけど。
「つーてもなぁ。別に欲しいものなんて……」
 そう言ってきょろきょろと道ばたに並んでいる露店を見てみるが、大抵は野菜だったり魚だったり獣だったりして、とてもわざわざ買いたくなるようなものではない。他にも商人らしきものが反物などを扱っていたりするが、生憎と裁縫も出来ないから布だけ買っても……。

 何かあるかなときょろきょろしながら二人で歩いていると、通りが交差している広場で人だかりが出来ているのが見えた。
「あれ、なんだろうな」
「え? ああ、きっと芸人一座でしょう。見に行きますか?」
「そうだな」
 芸人という言葉に引かれて頷く。果たしてこの時代の芸人とやらは一体どんな事をやっているのだろうかと。

 人だかりを掻き分けて前の方へと行ってみると、そこでは身体に刺青を入れた薄着の女が相撲を取っていた。
「あら、志野さん達の一座でしたか」
 蘇羽哉はそう言って口元を手で押さえた。
「ん? 知り合い?」
「ええ。復興戦争でお手伝いをして頂いたことがあって」
「ふぅん」
 よく分からなかったのでそのことは頭の隅に追いやって、目の前の相撲を見ることにする。

 刺青女と筋骨隆々な男の対決。
 見た目通り男の方が勝った。と、思ったら男が威勢良く女の来ているものをはぎ取り雄叫びを上げる。
 丸裸にされた女は顔を手で覆って走っていってしまった。いや、顔じゃなくて身体隠せよと内心突っ込みつつ、目の前の事態に呆然となる。

「蘇羽哉?」
「え、ああ。織部さんは裸を賭けて勝負していますから。まぁ、時々わざと負けているんですけどね。今のもそうです。本気を出せばあの程度の男にやられたりしないでしょう」
「ふぅん。まぁ、いいもん見さして貰いました」
 ごちそうさまと内心手を合わせていると、耳ざとく蘇羽哉の言葉を聞いた男がズカズカと大股で近づいてきた。

「おい、おめぇ。今なんて言った?」
「あら? 聞こえませんでしたか? 貴方程度、本気でやれば織部さんが負けるはずはないと」
「あぁん? 嘗めてんのか、コラッ!」
「誰が貴方など嘗めますか。汚らわしい」
 本当に汚らわしいと言うように、胸ぐらを掴もうとした男の手を振り払う。

 ……なぜわざわざ喧嘩を売るかなぁ。
 なんだか泣きたくなってきた。それはともかくこういう事態になったらやれることは一つだ。

 人垣も今度は俺と蘇羽哉と男を囲むように移動していき、喧嘩をはやし立てる声も飛び始める。

「ク、この女。ぶちのめしてやろうか!」
「できるものならやってみなさい! でかいだけの木偶の坊が!」
 やる気満々のお二人。うむ、火がついてしまったようだが、端から見て蘇羽哉、少し無謀。いやかなりか。蘇羽哉も俺も丸腰だし、体格的には圧倒的。とても勝てる相手じゃない。

「まぁ、落ち着け二人とも。喧嘩なんかしても益はないぞ」
 やんわり聡そうと試みるが……

「黙ってろ小僧!」
「九峪さんは下がってて下さい!」

 とりつく島もありゃしない。だが拙いなぁ。蘇羽哉は耶麻台国の中枢に関わる人間だし、それが街中で喧嘩なんてすると評判が下がりそうだ。これから関係者となる俺としては、これは止めないとまずい気がするんだけど。

 仕方ないなぁ。

「わかった。だが女相手に手を挙げるのはお前も気が引けるだろう。変わりに俺が相手になる」
「く、九峪さん!?」
 目を見開く蘇羽哉。

「だ、駄目です。貴方にそんなことさせられません」
「まぁ、蘇羽哉は下がってろ」
「しかし!」
「いいから引っ込んでろ」
 少しきつく言うと、蘇羽哉は渋々と言った感じで下がる。ふむ、そしてお相手の男の方は……

 めっちゃ睨んでる。睨んでますよおい。

 だが、その睨みも深川や兎奈美の視線に比べれば子猫の如きかわいさだ。
 とは言えどうしますかね。素手で勝てる相手じゃなさそうだし。勢いだけで後先考えないからこういう事になるんだよなぁ。まぁいいか。

 俺はついっと一歩間合いを詰めると、男は思い切り殴りかかってくる。

 初撃だけならばかわせる。そして、打たせればそれでいい。俺は思いきり後ろに飛ぶと、同時に反転蘇羽哉の事を抱きかかえるとそのまま人垣を縫うように走り去った。

「ちょ、九峪さん?!」
「なんだ? 蘇羽哉」
「あの、なんで逃げてるんです?」
「あんな大男に勝てるほど俺強くないしなぁ。わざわざ殴られたくもないし。三十六計逃げるにしかずってね」
「……おろして下さい。このままでは私が嘗められます。九峪さんだって」
 不機嫌そうに顔を歪める蘇羽哉。俺は後方を振り返って追ってきていないことを確かめると、そっと蘇羽哉を下ろした。

「蘇羽哉。そんなに喧嘩がしたいのか? お前があそこで挑発的な事を言わなければ起きない諍いだろう。必要も無い挑発で相手の神経逆撫でて、それで力を振るって悦に入りたいというなら、その方がみっともないと思うがなぁ。侮るぞ、お前のこと」
 根っからの平和主義者の俺は、喧嘩は嫌いなのだ。見るのも軽々しくその原因を作ろうとする奴も嫌いだ。
「……もうしわけありませんでした」
 恥じ入ったのかそれとも悔しいのか、俯いて頭を下げる蘇羽哉。

「まぁ、別に偉そうに言う立場でも無いんだけどさ」
 女の子に頭を下げさせてどうもバツが悪かったのでそう言ってごまかす俺。ぐぅ、駄目だなぁ。
「そ、それより今日はもう戻ろうぜ。またばったりさっきの奴に出くわしたらまたもめ事になっちまう」
「はい。わかりました」
 肩を落とす蘇羽哉にどうしたものかと思いつつ、俺はその場を後にした。






 と、思った直後にさっきの男がまだ追ってきていてばったりと出くわす。
「あら~、拙いなぁこれ」
 虚仮にされたと思ったのか怒り心頭になっている男。今度は逃げられそうにも無い。
「九峪さん。ここは私が……」
「いや、いい。お前は手を出すなよ」
「しかし……」
「何があってもお前は手を出すな。いいな」
「……」
 返事をしない蘇羽哉に舌打ちしつつ、今度は俺の方から男へと向かって走った。

 そのことが意外だったのか、男の方は足を止めて俺の事を迎え撃つ体制に。

「でぇい!」
 渾身の力を込めた必殺の一撃。
 それはペチンと軽やかで冗談じみた音を男の腹の上で鳴らし、俺の拳を粉砕した。

「ノォーッ! 鉄の拳が!」
 手を押さえて蹲る俺に、男の容赦ないアッパー。俺は高々と打ち上げられ、見事に昏倒した。

 薄れ行く意識の中で、誰かが俺に声を掛けた。そんな気がした……。













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【2006/09/15 16:32】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
深川11
 深川
 十一話



 黴臭さと血の臭いに満ちた暗い部屋。
 炎の揺らめきにいけ好かない女の笑みが浮かんでいる。
 見覚えはある。
 耶麻台国復興を掲げた反乱軍が起こる少し前、私はコイツの事を一度嵌め、そして散々罵ってやったんだ。
 だが、その後現れた正体不明の輩に奪還され、私は任務を失敗。

 結局は今までその失敗を取り返せなかったことが、狗根国からも追われる要因となっている。
 まぁ、それだけではないが……

「強情だな。確か深川と言ったか? さっさと天魔鏡の場所を吐け」
 そう言って手に持つムチを振るう。
 皮膚が裂けて血が飛び散り、神経を灼くような痛みが頭へと駆け上がる。
 私は僅かに呻き、そして挑発的に女に向けて笑ってやった。

「ククク、ぬるいなぁ。この程度で拷問のつもりか?」
 この女、確か亜衣と言ったか。コイツへの恨みが痛みなど消し去る。
 今はまだ時ではないが、既に毒は巡らしてある。直にここも出られる。

「ふん。強がりを言えるのも今の内だ」
 そう言いながら喜色を浮かべて傷口に塩を塗り込んだ。
 激痛に視界が揺らぐ。
 奥歯を噛み締めてそれに耐え、呼吸が止まりそうな痛みの波をやり過ごす。

 一方亜衣の方はその顔を上気させて、まるで色事でも楽しんでいるかのような表情だ。その感覚は私も知っている。だから、私もこの女をそうする時の事を考え、この痛みすらも愉悦にすり替える。

 どうやって復讐してやろうか。
 考えるだけで濡れてくる。

「深川。しゃべりたくないならまだしゃべらなくても構わんぞ。夜は長い。たっぷりと付き合ってやる」
 言いながら、灼けたキリを太股に突き刺した。

「ぐっ、あ――」
 刺される痛みと、灼かれる痛み。

 覚えておけ、このクソ女。必ず、同じ事を、貴様にも――






 一人悶々と眠れぬ夜を過ごし、気づけば空が白んでいた。

『私は……、九峪とならいつでもいいから』

 日魅子の言葉が頭の中をぐるぐると回って、人知れずニヤニヤと笑っていたりする。
 我ながら危ない奴だと思いつつも、思考はそこから離れようとはしなかった。

「九峪さん、起きていらっしゃるでしょうか?」
 廊下の方から蘇羽哉の声が聞こえて、九峪ははっと我に返る。
「ああ、起きてるけど」
 答えるとすっと戸が開いて蘇羽哉が入ってきた。その手にはご飯が載った盆がある。

「朝食をお持ちしました」
「おう、ありがとさん」
 気さくに言って、結局一度も入らなかった布団を寄せる。

「あの、お休みになられませんでしたか?」
 俺の様子を目聡く見つけて聞いてくる蘇羽哉。
「枕が変わるとどうもね。まぁ気にすんな」
 軽く嘘を言って食事に取りかかる。相変わらず簡素だが、まともな食事と言うのも嬉しいものだ。

「ん~、あ、そうだ。結局深川達ってまだ来てないのか?」
 気になっていたので聞いてみる。

「ああ、それでしたら……」
 蘇羽哉が振り返ると、戸の隙間からひょこっと兎の耳が覗いた。

「兔華乃」
 耳の位置から間違いなくそうだと思って呟くと、その通り兔華乃が顔を出した。
「九峪さん。私もご一緒していいかしら?」
 などと言って目の前にちょこんと座る。
 蘇羽哉に何やら指示を出して、茶飲みに入った何やら怪しい液体を受け取った。どうやらそれがご飯らしい。朝はキャロットジュースのみだとかそんな話なのだろうか?

「兔華乃が帰ってきてるって事は、深川も?」
「あら、会えなくて寂しかった?」
 茶化すように言う兔華乃。
「いや、寂しいって事は無いけど。つーか、出来れば二度と会わなくても困らないというか……」
 実際あいつとずっと一緒にいるのは気が重い。

「深川さんならもう行ってしまいましたよ」
「へ?」
「元々彼女は耶麻台国に縁のある人でも無いし、いえむしろその対極。ノコノコと本拠地に乗り込むことは出来ないでしょう?」
「いや、でも、それならなんで兔華乃は見逃したんだ?」
 最悪捕まったらその時は俺から日魅子に口をきけば何とかなったかもしれないのに。まぁ、それも昨日分かった事でしかないけど。

「私は別に耶麻台国が好きでここにいるワケじゃないの。頼まれて仕方なくね。だから罪人を捕まえるだなんて細々とした仕事を一々やったりしないのよ」
「ふぅん。だから見逃したって事? 耶麻台国としてはそれでいいのか?」
「今更、と言ったところでしょうか。警戒している内はそれほど問題ないと判断されているようです」
 蘇羽哉が少し困ったように答える。兔華乃に対して強く出られないと言うこともあるのかもしれない。

「ふぅん。まぁ、事情は悲喜交々か。でも、そうか……。いっちまったのか、あいつ」
 寂しくないといった手前なんだが、やはり何処か寂しかった。
 ちゃんとした別れも告げられなかったし、お礼も言いそびれた。やり方はともかく、俺が生きてここにいるのは、紛れもなく深川のおかげなんだし。

「生きていれば、また会えるわ。きっとね」
 兔華乃はそう言ってニッコリと笑う。
「生きていれば、か。あいつにとっちゃ、それが何より難しそうだけど」
 そう、深川は狗根国に追われている。
 明日をもしれぬ命なんだから。

「気になるようなら探させますが?」
 蘇羽哉が何とはなしにそう言ったが、俺は首を振った。
 見つけられるとも思えないし、俺のわがままで迷惑をかけるわけにはいかないだろう。
 ともかく、もし会うことがあったらなんとかなるように、今度日魅子に話をしておくくらいが俺に出来る精一杯の所だ。多分。

「そうですか。それで、今日の予定なのですが……」
「ん?」
 予定と言われても何もすることが無い。というか何も分かっていないから必然何もやりようがない俺に、一体どんな予定が入っているというのだろう。

「よろしければ街の方を見物に参りませんか?」
 蘇羽哉はそう言ってニッコリと笑う。
「ああ、いいのか? うん、出来れば見てみたいな。来るときは兎奈美に担がれてたからゆっくりと見ることも出来なかったし」
「わかりました。では、食事が終わりましたら暫くした後お呼びに参りますので」
「ああ、あんがと」
 蘇羽哉は何処か嬉しそうに戻っていった。

「もてるのね。九峪さん」
 ニヤニヤと笑う兔華乃。
「そんなんじゃないと思うけどな~」
「あら? でもあの娘嬉しそうだったじゃない。日魅子がいるって言うのに罪な人ねぇ」
「だから、別に蘇羽哉とはそんなんじゃないし……。そもそもあいつの事何も知らないぞ」
 まぁ、昨日多少聞いたけど。

「そう? まぁ、どちらでもいいけど。それはさておき九峪さん。兎奈美と寝たそうね」
「ぶっ!」
 思い切り噴き出す。
「ね、寝たって言うか、強姦されたというか……」
「私の身内に手を出した覚悟はいいかしら?」
 にこやかに殺気を漲らせる兔華乃。食欲が一瞬で消え失せた。

「え、あの、兔華乃……さん」
「高貴なる魔兎族が人間如きとまぐわるなんて、そんな事実を吹聴されるわけにはいきませんし。私怨はありませんがここで死んで下さい」
「って、それって思いっきり私怨じゃん!」
 俺の全力でのツッコミは地獄の微笑みで無視され、兔華乃の腕が思い切り振り上げられた。

 非常にゆっくりに感じられる視界の中で、ああこれが死に際の集中力って奴かと一人納得してみたり、魔人の一撃だと首から上が消え去るかなぁとか、これまでの十数年の月日とか、色々なものが走馬燈のように――。所で走馬燈ってなんだろう?

 ペチン

 軽やかな音が鳴って、頬にじんわり痛みが走る。

 じんわり、見た目通りの少女に叩かれた程度の。

「え?」
 兔華乃は当惑していた。
 だが、そんな事をつぶさに観察する余裕もなく、俺は思い切り安堵の吐息を吐き出す。

「なんだよ、冗談かよ兔華乃。全く死んだと思った」
 危うく出ては行けないものが出てしまうところだった。

 自分の手の平を不思議そうに見ている兔華乃。

「……なぜ?」
 真剣な表情で俺を見つめる兔華乃に、俺は何のことか分からず大仰に肩をすくめてみせるのだった。






 自分の手を見つめながら先ほどの事を不思議に思いつつ廊下を歩く。
 殺すつもりは無かったが、それでも血反吐を吐かせるくらいのつもりで振り抜いた。
 なのに、九峪さんには怪我一つ無い。
 私には『空』という、相手の戦闘力に応じて自分の戦闘力が上がる能力がある。
 だから、敵意が無い相手には力が発揮されない、などという欠陥があると思われがちだが、実際は違う。
 どうあれ自分が敵と見定めた相手ならば力は発動するし、それは必ず相手より大きい。
 つまり無敵。
 その私が、これまで体験したこと無い事態。
 一体何が起こったのか……。

「姉様~。九峪いた~?」
 人間と軽々しく交配するなと昨夜折檻してやった兎奈美は、一晩経ったらケロッとそのことを忘れている。まったくお気楽なんだから。

「姉様?」
 ふと、気になって兎奈美の頬を不意打ちで思い切り張った。
「ぷぎゃっ!」
 兎奈美の身体は高速で壁に張り付き、さらにそこを突き破ってゴロゴロと庭へ転がっていった。
「変ね。確かに力は使えるのに」
 首を傾げると、前から日魅子が歩いてきた。
 壁に空いた穴を見てため息を吐く。

「あまり人間離れした事をして欲しくないものね。こんな所一般兵に見られたら大変じゃない」
「そのくらい気を使っているわ。それよりまさか貴方も九峪さんの所に?」
「ええ。って兔華乃。九峪に何かしてないでしょうね」
「そんなに睨まないで。しようと思ったけれど、出来なかったわ。不思議ねぇ」
 首を傾げる兔華乃。

 日魅子は暫く考えて納得したのか頷く。

「兔華乃。貴方じゃ九峪は殺せないわ。まぁ、兔音か兎奈美なら簡単でしょうけど」
「どういう事かしら?」
「それは秘密。少し考えれば分かるかもね」
 試すようにそう言って横を通り過ぎる日魅子。

 私じゃ、殺せない?

 その意味を考え、私はまた自分の手の平を見つめた。













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【2006/09/05 19:31】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
深川10
 深川
 十話



 全ての望みを叶える扉を開けるために必要な、鏡と剣。
 伝承は遙か悠久の昔より伝えられていた。
 人々はそれを欲し、追い求め、争いを絶やしたことがない。
 しかし、ただの一度たりとも扉は開くことは無かった。
 なぜならば、鏡はいつも人々の手を渡り歩いていたが、剣が何処にあるか、誰にも見つけることが出来なかったから。

 伝承には斯くある。

『別れし鏡が一つに戻りしとき、剣は自ずからその姿を顕わさん』

 だからこそ鏡を求め、人々は争いあう。

 天魔鏡という名の、神器を求めて。






「……に、…たに。九峪」
 身体を揺すられて目を覚ませばそこには日魅子がいた。
「む~。眠い。後五分」
 そう言って俺はまた眠りにつく。

「もう、仕方ないなぁ」
 そんな声が聞こえたかと思うと、耳元にふっと息を吹きかけられた。
 ぞくっと背筋が泡立ち、途端に意識が覚醒する。

「……日魅子? あれ? ここは?」
 身体を起こしてきょろきょろと見回す。川辺城の自分にあてがわれた部屋だった。どうやら眠ってしまっていたらしい。
「もう、寝るならちゃんとお布団敷かないと。風邪引いちゃうよ?」
 相変わらずのお節介焼きだなと思いつつ、妙に煌びやかな日魅子の着物を見て顔をしかめる。

 周りの状況といいどうも夢オチという素敵な話は無いらしい。誠に遺憾だ。

 部屋には日魅子が点けたのか、燭台に炎が灯っていてぼんやりと照らされている。外はもうすっかり暗くなってしまっていた。寝ている間に日が暮れたらしい。
「今何時だ?」
「え~と、多分七時過ぎくらいかな」
「そっか。で、なんでお前が?」
「……少し、話がしたくて」
 日魅子はそう言ってじっと俺を見つめてくる。気のせいか瞳が潤んでいる。

「なんだよ。夜ばいかと思った」
 軽口を叩くと日魅子は顔を赤くして見事な右ストレートをプレゼントしてくれた。うむ、世界を狙える。
「ぐぅ。このハンサムな俺様の鼻が潰れたらどうしてくれる! 責任取らせるぞ!」
「九峪が変な事言うのが悪いんでしょ!」
 そう言って睨み付けられ、俺は苦笑する。
 なんだかいつも通りだった。

「ふぅ、どうやら偽者じゃ無いみたいだな」
「そっちこそ。でも、なんでこの世界に」
「お前は? どうやってきたんだ?」
「その前に、九峪どこまで覚えてる? この世界に来る前何してた?」
 言われて首を傾げる。

 さて、俺は一体何をしていたか……。

「日魅子と一緒に日魅子のじいさんの発掘現場に見学に行って……、え~と、後は良く覚えてないな」
「プレハブに一緒に行ったことは?」
「? プレハブ? ああ、発掘品を置いてあったところだよな。日魅子がいきなり『行かなきゃ』とか言い出して……」
「その後の事は?」
「む~」
 記憶を探るがさっぱり出てこない。

「駄目だな」
「そっか。まぁ普通の人間が時を遡るなんてあり得ないものね。記憶に少し障害が出たんだ」
「そうなのか?」
「うん。きっとね。たぶんだけど、九峪は私がこの世界に来る時に巻き込まれちゃったんだと思うの」
「……ふーん」
 言われてもよく分からないな。そもそもどうやって日魅子はこの世界に来たんだ? いや、来たと言うよりは戻ってきたのか。

「ごめん。私のせいで、九峪まで巻き込んじゃって」
 泣きそうになりながら頭を下げる日魅子。思わず胸がキュンとなる。気づいたときには抱き寄せていた。

「……九峪」
「謝るなよ。別に怒ってないし、お前のせいだとも思ってないから」
「うん。ありがと」
 日魅子はそのまま俺の胸に頭を押しつけて、ぐずぐずと泣き始める。仕方ないのでそっと頭を撫でてやる。

 昔から、日魅子は良く虐められていた。
 孤児で本当の両親がいないから、それをネタにいつもいつも。
 俺はそんないじめっ子を更に虐めていた。
 日魅子が机に落書きされたら、俺はそれをやったやつの机をピンク色に塗り替え、日魅子が上履きを隠されたら、それをやった奴の上履きにネズミの死骸を入れておき、日魅子が殴られたら、殴った奴の親がノイローゼになるまでイタ電かけまくり、不幸の手紙を送りつけ、ファックス無限地獄にたたき落としてやった。
 俺は日魅子専属の正義の味方だった。やり方は陰湿だったが。

「それにしても、お前一人で良く国を興せたな」
 幾分落ち着いた日魅子に率直な感想を言うと、日魅子は首を振った。

「ううん、私だけの力じゃないよ。亜衣さんとか周りの人が優秀だから。と言うか、私何もしてないで、オロオロしていただけだから」
「ふーん。ま、そうだと思ったけど」
「なによぅ。少しは私だって……」
 拗ねる日魅子。その仕草が何ともいじましい。

「分かってるさ。頑張ったな、日魅子」
「うん」
 実感はないが、日魅子にすれば数ヶ月ぶりの再会らしい。それでも特に変わった様子もない。
 俺はそのことに安心した。

 酷い目に遭ってなかったか、心配だったから。

「……九峪、あの、九峪も一緒にいてくれるよね? これから」
 日魅子の一生懸命な言葉に、俺は少しだけ迷って、そして頷く。
「ああ。お前の事放っておくワケにはいかないしな」
「そう。ありがとう」
「いや、お礼言われる事じゃねーし。むしろ出て行けと言われたらその方が困る」
「うん、九峪一人じゃ生きていくのは難しいもんね」
 日魅子は何処か遠い目でそう呟き、それから俺の事を見上げた。

「ね、ねぇ、九峪……。あの、その……」
「ん?」
 俺から離れると手を怪しく動かして、わたわたし始める日魅子。謎な生物だ。
「なんだよ」
「えっと、別に、あの、私が言ったんじゃないんだから、勘違いしないでね? ね?」
「いや、意味が分からん」
「その、うん。亜衣さんがね、九峪を守りたいなら、け、けけけ、結婚…………した方が………………って……へへ……」
 茹で蛸になりながら笑ってごまかそうとする日魅子。

 人のことは言えない。こっちも多分耳まで真っ赤だ。いきなりプロポーズ。しかも向こうから……。

「あの、私はまだ早いとか、っていうか、そもそも九峪が私のこと……その、好き……とか、そう言うことも分からないし…………、あの、だから……あうぅ」

 そういきなり言われても、心の準備が……。取り敢えず何か言おうと口を開きかけると、日魅子が慌ててそれを遮った。

「いきなり、こんな事言われても困るよね。うん、ごめん。でも、その、考えておいて」
 日魅子は顔を真っ赤にしたまま恥ずかしいのか背を向けると勢いよく立ち上がって部屋を出る。

 戸越しに、

「私は……、九峪とならいつでもいいから」
 そんな殺人級の台詞を残して。






 九峪の部屋から飛び出して、私は少し歩いてため息を吐いた。
 呼吸を落ち着けると、醒めた目で九峪のいる部屋の方を見据える。

「火魅子様。首尾は……」
 亜衣の冷たい声にかすかに笑みを向ける。
「上々ね。あの分であればあっさり落ちるでしょう。まぁ、九峪も私の事は悪からず思ってるでしょうし」
 鼻で笑って亜衣の方に視線を向けた。
「しかし、目的の為とはいえ怖いお方ですね」
「……何が?」
「いえ。それよりも深川の方ですが」
「捕らえた?」
「はい。今地下に吊しております」
「そう。で、例のものは」
 亜衣は渋面を作って首を振った。

「何処かに隠したものと思われますが、それについてもこれから吐かせます」
「わかったわ。九峪にはくれぐれもばれないようにね」
「もちろんです。では、私はこれで」
 楽しそうに背中が笑っているのを見て、私はやれやれとため息を吐く。女としては私の方が怖いかもしれないが、人として怖いのは亜衣の方だろう。

 私はそのまま自室に戻ると、誰も近づけないように衛兵に言い渡して暗い部屋で腰を下ろした。

「遅いのよ……、馬鹿」
 呟きに含まれた後悔。

 九峪に再会できたことは単純に嬉しかった。
 何を持ってしても守ろうと決めた。

 けれども、本当は自分なんかはもう九峪と一緒にいてはいけないとも思う。

 あの日、この世界に来てから、耶麻台国を復興させるために何人もの人を殺してきた。
 自分の夢のために、その手を血に染めてしまったのだ。

 弱い日魅子は、もういない。
 火魅子としての知識と能力を呼び覚まされた今の私は、以前の泣き虫ではない。
 その気になれば万の軍に匹敵する、殺戮兵器だ。

 せめて、九峪が始めから傍にいてくれたら変わったかもしれない。
 元のままの、自分でいられたかもしれない。

 それも、もう遅い。

「力づくでものにしてしまえばいいじゃない」
 幼い声が聞こえて、顔を上げる。

「貴方なら簡単でしょう?」

 窓際で佇む、兎の耳を持った少女の姿。
 この世界で、唯一私と対等な力を持った魔人。

「……九峪に手を出したら、殺すわよ」
 声は凍てつくような冷たさで、そのことに心が痛む。
 人でなしになってしまった自分を自覚すると、まだ辛い。
 その内、それすらも感じなくなるだろう。

「あらあら、怖いわね」
 クスクスと笑って兔華乃は外へと逃げていった。

「……九峪」
 愛しい想いと、汚れてしまった自分の惨めさ。
 未だ純なままで汚れを知らず、裏表のない笑みを私に向ける九峪。

 今からでも、間に合うだろうか。
 少し前まで当たり前だった、平穏で何の意味もないようなただの日常に帰ることが。

 九峪となら、もう一度……


 そんなありもしない未来を考え、私は自嘲的な笑みを浮かべた。













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【2006/09/04 17:42】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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