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深川46
 深川
 四十六話



 山間部。ぼっかりと開けた場所にある焼け落ちた集落。滅びてもう随分経つのだろう、残っているのは白骨化した死体と炭化した住居の跡だけだった。
 辛うじて半分だけ焼け残った竪穴式住居に、九峪と深川はいた。

 会話は無い。二人ともそれぞれに考え事があるようで、隣に人がいることも忘れているかのよう。幼なじみを殺してしまった九峪。望みを叶えることもできず、九峪から離れることも出来ない深川。それぞれに思うところはある。

 都督からこの場所まで二人は殆ど口をきかなかった。深川の事は途中まで九峪が運んでいたのだが、その事への礼も無い。深川にすれば九峪が蛇渇でもあることは、忌々しいことこの上ないことに違いない。深川にとって、この世でもっともに憎い人物と言えば、それは蛇渇をおいて他にいないのだから。

 かといって、九峪の事を嫌ってはいないのも事実。深川の願いは叶わないと分かった今、蛇渇に利用されるだけというならすんなり死を選んでもおかしくない。にもかかわらず、未だに九峪に付いてきてるのはなぜなのか。分かってはいたが認めたくもない。

「深川。今なら俺から離れたって大丈夫だぞ。蛇渇はまだ抑えられるから」

 沈黙を破ったのは九峪。深川は顔を上げると、空中を見て何でもないような顔をしている九峪にちらりと視線を向けた。

 蛇渇と言う存在。
 深川は嫌と言うほどよく知っている。慈悲も情けもカケラも持ち合わせず、寧ろ非情や冷血を突き詰めたような暗黒の精神。深川も別に有情なわけではないが、それでも蛇渇に比べれば聖人君子にも見えると疑わない。

 そんなものが体の中にいる。

 考えただけでも吐き気がこみ上げ、怖気が襲う。自分では対抗どころか瞬く間に飲み込まれるだろう。そう分かってしまうからこそ、九峪の精神が異常に思えて仕方がない。

「――抑えるか。ふん、何処にいようが私の勝手だろう」

 疑っているのだ、深川は。九峪が本当に九峪のままでいられるのだろうかと。今自分に話しかけている相手は、本当に九峪なのだろうかと。

「物好きだなぁ、お前も。俺と一緒にいたら、伊万里が殺しに来たとき一蓮托生だぞ」
「殺されてやるつもりか? 殊勝なことだな」
 九峪は乾いた笑いをこぼすと、力無く首を振った。

「死にたくなんかないさ。本来ならさっさとくたばるのが世のためだとは分かってるし、殺して欲しいくらいだとも思ってるけど、やっぱり死ぬのは怖いしな。だから、誰かが俺を殺しに来るなら、蛇渇は抑えられなくなるかも知れない」
 防衛本能は九峪にもある。余程特殊な状況でない限り、殺しに誰かが来れば蛇渇と九峪の意志は一致してしまう。そうなれば抑えきることは難しい。

「だったら、私が逃げようとすればそれでも蛇渇は出てくるだろう。澄ましてるつもりか知らないが、まだお前は泣いているからな。私に行って欲しくないんだろう」
 深川の見透かした言葉に、九峪は頭を掻きながら頷く。

「さすがに人の顔色見るのは得意だなぁ、深川」
「立場が逆転したら強気だな、九峪。今の私は怖くないか」
「ん、正直に言うと、お前の事ははじめからあまり怖くない」
 言って深川の反応を伺う。深川は肩眉をつり上げ、面白くなさそうな顔をしたが、何も言わずに九峪の頭をひっぱたいた。

「痛てぇな。叩かなくてもいいだろ」
「私ははじめからお前が怖かったよ」
「は?」
 意外な深川の言葉に、九峪の目が点になる。

「私は蛇渇にだけは絶対に逆らえない。背中の入れ墨は、蛇渇の人形となる事を定められたものだ。私が鏡を捜していたのもお前を殺さなかったのもそのせいだ。本来ならばお前など目があった瞬間に殺す類の人間だ。それなのに殺そうと思えなかった。だから、お前という人間の正体が分からず怖かった」
「そうなのか?」
「ああ」
「俺はまたてっきりお前が俺に惚れているからだとばかり」
 茶化すように九峪が冗談を口にすると、高速で深川の平手が飛んでくる。

「調子に乗るな。殺すぞ」
「痛いって。ただの冗談だろうが」
 九峪はそう言いながら、憤懣やるかたないと言った表情の深川をじっと見つめる。

「なぁ、深川」
「なんだ?」
「俺が泣いてるって言ったよな?」
「ああ」
「実際泣きたいんだが、胸貸して貰っていいか?」
「……好きにしろ」

 そっぽを向いた深川に、九峪は正面から抱きつくとその胸に顔を埋めた。深川は小さく震える九峪の頭に手を置きながら、妙に切なくなってしまう自分に戸惑っていた。






 まるで九峪が泣くのに呼応したように、暫くすると空が泣くように雨が降り始めた。細い絹糸を垂らしたような霧雨は、抱き合った二人を包み込むように濡らしていく。

 近くに雨を避けられるようなものはない。今いるこの場所も辛うじて屋根のようなものはあるが、それでも軽い雨粒は僅かな風に飛ばされ、あまり効果はない。

 避けることも叶わぬならと、二人はそのまま抱き合い動こうともしなかった。

 しっとりと服が濡れはじめ、それがかえって互いの体温を身近に感じさせる。夏場とは言え雨が降ればやはり山の気温は低くて、知らず二人は近づいていった。どちらからともなく、気付は横になっていた。

「……」
 少しだけ体を離し、泣いて赤くなった瞳で深川を見下ろす九峪。情けない顔。それがどうしてこんなにも胸を締め付ける。

 本来それは無かった感情。芽生えるはずなどあり得ない感情。けれど、蛇渇のせいでは決してない。

 ――私は、いつから?

 はじめから嫌いではなかった。蛇渇がかけている呪のせいで、抵抗が薄かったせいだろうか。本来なら否定的にしか思えない綺麗事好きの人間を多分生まれて初めてまっすぐ見つめることが出来た。

 食わず嫌いが食べてみたらおいしかったような、そんな感覚。意外にも九峪は心地よかった。一緒にいて、心安らげた。

 そっと目を瞑ると九峪が近づいてきた気配がして、次の瞬間には唇に柔らかい感触が。直ぐに口を開いて舌を出す。貪るようにではなく、丁寧になぞるように絡ませる。

 あまり経験が無いのだろう、九峪の舌使いはどこか辿々しい。それでも伝わってくるのは慈しむような感覚。

 ――こんな私ですら、コイツは救おうとする。

 汚れているなどという生やさしいものではない。深川は汚れそのもの。だから九峪とは対局で、共通点など無いはずだ。そう思っていた。

 けれど二人はたった一つだけ同じところがある。何もかもが違うようで、媒介するのは蛇渇だけのはずの二人は、しかしその根底にある揺らぐことがない信念。ただそれだけは同じだったのだ。

 目指すものは違えど、方法も思考も全く逆だとしても、譲れぬものを確かに持っている。

 それは余人にはとても難しいことで、真実それを持てるものなど殆どいない。持てるものは別のもの。別の生き物。

 だからどこかで思ってしまっていたのだろう。お互いがお互いに、ようやく同じものを見つけたのだと、出会った瞬間に心のどこかで。

 唇を離す。開いた口から唾液の糸が互いの口を結んでいた。寒かったはずの体は口づけだけで少し熱が上がり、湯気でも出てきそうなほどほてってしまっている。

 深川はまだ泣いているような九峪の頬に手を伸ばしながら、心のどこかで、何かが壊れる音を聞いていた。

 長年積み上げてきた、心の壁。
 過酷な人生を生き抜くための防壁。
 意地とか、強がりとか、見栄とか、矜持とか。
 情けない九峪の顔が楔となって、まるで卵の殻が割れるように。

「……泣くな九峪」

 この男が愛おしい。
 狂おしいほどに、愛おしい。

「私だけは、最後までお前と一緒にいてやるから」

 体を少し持ち上げて、今度は深川から口付ける。
 唇を掠めるように、そっと一つだけ。

「私だけは、お前の味方だ」

 零れた九峪の涙。深川はそれを嘗め取って、それから思い切り九峪の事を抱きしめた。
 もう二度と離さぬ事を誓って。
 何者にも、この男を譲らぬ事を誓って。













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【2007/06/24 21:19】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
深川45
 深川
 四十五話



 火魅子の遺言に従って今耶麻台国を統べているのは星華という王族の女。復興前は亜衣が後見人として付き、宗像神社という嘗ての耶麻台国の国教の巫女を取り仕切る立場でもあった。
 その誇り高い血と権力に囲まれ生を受けた少女は、その直ぐ後に耶麻台国滅亡というどん底に突き落とされた。だからこそ、星華は純粋に耶麻台国の復興を望んでいると言ってもいい。

「衣緒、まだ落ち込んでいるの?」
 火向が狗根国に落ちたことで国の統制が火後の国都、片野城へと移り目が回るような忙しい日が続いている。都督から火魅子の遺体と共に戻った衣緒は、星華の政務を手伝いながらも心ここにあらずと言った様子だった。

「……申し訳ありません、星華様」
「責めているわけではないわ。心配しているだけ。やはり少し休んだ方がいいわよ」
「ご心配なく。私は怪我一つしておりません」

 まるで、腕の一本でも落としていればまだ気が楽だったと言わんばかりの衣緒。星華はあきれ顔でため息を吐いた後、その頬を思い切りひっぱたいた。

 乾いた音がたいして広くもない部屋に響く。

 じんじんとする頬に手を当てて、自分も痛そうに手を振っている星華を見つめる。

「いいから下がって休みなさい。そんな辛気くさい顔をされたら私の方まで気が滅入るわ」
「……わかりました。それでは失礼します」
 さらに落ち込みながら部屋を出て行く衣緒。星華はもう一つため息を吐いて、どうしたものかと頭をひねる。

 星華にとって衣緒や亜衣、羽江は共に育ってきた姉妹のようなもの。妹が落ち込んでいれば手を差し伸べたいとは思うが、落ち込み具合も半端ではない。仕えるべき主君を目の前で殺されて、何一つ出来なかったのだから無理もないが、いつまでもそれでは星華が困る。

「全く、亜衣は亜衣で我が儘言って出て行ったままだし、どいつもこいつも勝手なんですから」
 こなさなければならない政務はまだまだある。早速戻ろうと思っていると、今度は星華の身の回りの世話をしている蘇羽哉がやってきて、来訪者がいることを告げる。

「こんな時に? 一体誰なの?」
「それがその、自分が王族だと名乗る山人風の女なのですが……」
「……ふぅん。いい度胸ね」
 火向が落ちたことで立場的にライバルだった藤那は今は大人しくしている。今の星華は誰も文句をつけられない耶麻台国の国主。その星華に、自ら王族だと名乗る、どこの馬の骨とも分からない女が訊ねてくる。

 ――さて、これも狗根国の奸計か、それともただの馬鹿が現れたのか。

 ちょうど政務ばかりで退屈していたところだった。暇つぶしにはなるかと気楽に考え、星華はそのものに会うことに決めた。






 割とすんなり通されてしまったことに伊万里は少しばかり驚いていた。正直なところ自分が王族であるなど半信半疑ではあったし、そう言えば入れると言ったとある人物の事は未だに信用していいのかどうかも分からない。ただ、それでも今は力が必要だ。相手は火魅子すら打倒した人外の存在。ありすぎて困ることはない。

「あらあら、王族というからどんな人かと思ったら、ただの山猿じゃない」
 遠慮無く嘲笑しながら入ってきた星華を、伊万里はむっとしながら見つめる。自覚はあるがいわれれば腹は立つ。星華のその嘗めきった態度はある意味非常に王族らしいとは言えたが。

「はじめまして、星華様」
「はじめまして。私に何の用かしら、お猿さん」

 伊万里のこめかみにくっきりと青筋が浮かぶ。が、ここで事を荒立ててもいいことは何もない。伊万里は必死で堪えながら、単刀直入に目的を話すことにした。

「炎の御剣、その所有者を止めたい。そのための力を貸してはくれないか」
「……なんの話で来たかと思えば」

 星華の表情が一変し、真剣な表情で伊万里の前に腰を下ろした。

「詳しい話を伺いたいところですが、その前にお名前をお聞きしておきましょう」
「伊万里だ」
「伊万里さん。私はあなたという王族など聞いたこともありませんが、一体なんの根拠でご自分を王族だと?」
「さぁな。私もよくは分からない。ただ、天魔鏡を持てるのは王族だけという話を聞いた」
「――天魔鏡を持っているの?」

 すうっと細まった星華の瞳。伊万里は頷くと懐から布に包まれたものを取り出す。

「この通り持っている。そのとき九峪という男にあった。炎の御剣の持ち主だというその男は、炎の御剣の御霊に体を半ば乗っ取られ、今もコイツを捜しているはず。仮にこの鏡が奪われるようなことがあれば、そのときは何が起こるかわかったものじゃない。何せ、炎の御剣の御霊の正体は、あの蛇渇だ」
「……なるほど、そこまで知っているのね」

 星華は驚きもせずただ頷いただけ。伊万里は逆にそれが不審になる。なぜ、そんな事を知っているのかと。

「元々その天魔鏡と炎の御剣を管理していたのは私たち宗像神社。三百年前の紛失も、その後の行方も、代々長となるものだけには伝えられてきた。正確なことは火魅子様すら知らなかったでしょうけどね」
「なぜ、教えなかった? 知っていれば或いは」
「あら、いわなければ分かりません?」

 そう言ってほほえんだ星華。鏡と剣。その伝承の内実を誰よりも知り、求めることの無意味さに気づき、ただ求めるものが墜ちていくのを高見の見物していた星華。

「十五年。いえ、生まれ落ちて十八年。私は火魅子になるべく生きてきた。例え国が滅びようともただそれだけを目指し己を磨き、いずれ国を興して高らかに名乗り上げるつもりだった。それをどこからか湧いた小娘に奪われたのよ? もちろん、国が滅びては困るし、火魅子様が有能だった事も認める。だから、積極的におとしめようとは思わなかったし、自分では何一つしなかった。それは罪かしら? 彼女は勝手に戦い勝手に死んだ。私が告げていれば変わったかも知れないけれど、私がそこまでしてあげる必要があったかも疑わしいでしょう? なにせ彼女は、絶対にして不可侵である直系の火魅子だったのだから」

 鈴が鳴るような流麗な笑みを見せた星華に、伊万里は苦り切った表情を返した。だが、ただそれだけ。

「権力争いなど勝手にやるといい。だが今はそれどころじゃない。あの禍々しい蛇渇が九峪を飲み込み、その願いを叶えたら下手をすれば世界が滅びる。協力はしてくれるな?」
「当然です、といいたいところですが勘違いはしないで。協力するのはあなたで、指揮を執るのは私がやります」
「……勝手にしろ」

 星華の矜持の高さに本気で呆れたように、伊万里は閉口する。そんな伊万里の反応などまるで無視するように、星華は伊万里に向けて手を差し出した。
 にこやかに笑いながら、どこまでも威圧感がある視線を向けて。

「天魔鏡は返して頂けますか? 本来それは私が管理するべきものです」
「それは出来ない相談だな」
 伊万里は忌々しそうにそう言って、眉をつり上げた星華に肩をすくめて見せた。

「私もこんなもの別に必要でもないんだが、鏡の方が嫌がるんだ」
「天魔鏡が?」
「嘘だと思うなら取ってみるといい。怪我をしても知らないけれど」
 星華は半信半疑でそっと鏡が包まれた布に手を伸ばす。しかし、鏡に触れると言うところで、指先にバチリと電撃のようなものが走り、敢えなくはじかれてしまった。

「そんな。私は王族なのに」
「宗像の巫女は嫌いだそうだ。心当たりでもあるんじゃないか?」
 伊万里はこともなげにそう言うと、鏡を懐にしまう。星華はやはり忌々しそうな顔だったが、それも直ぐに引っ込めると、取り繕ったような真顔で伊万里に告げた。

「では鏡はあなたが管理して下さい。宗像関係者の総力を挙げて、剣は探し出します。あなたはその間この町に逗留しているといいでしょう。まぁ、九峪とやらがこの鏡を求めて動くというなら、遠からず見つかることでしょうけど」
 自信満々でそう言った星華に、伊万里は首肯すると立ち上がり、最後に一言だけ危惧していたことを告げた。

「相手は火魅子様すら倒したある種の化け物だ。策はあるのか?」
 真っ向からでは確実に負ける。それが例え万の軍だとしても保証はない。それが分かっている故の質問に、星華は不敵な笑みを返した。













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【2007/06/19 19:59】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
深川44
 深川
 四十四話



 都督の中に入った九峪を待っていたのは、血まみれで倒れる深川と天魔鏡を手に剣を構える少女の姿だった。
 一体何が起こったのか。そんなことを考える前に九峪は深川に駆け寄り、生きている事を確認する。見たところそこまで酷い怪我ではない。

「あなたが炎の御剣の所有者か」
 放たれた言葉に顔を上げると、剣の切っ先が目の前にある。視線は九峪の顔ではなく、その手に握られた炎の御剣。

「渡してもらおうか? まだ死にたくはないだろ」
 殺意は本物。既に鏡をその手にしているその少女。九峪は苦笑を浮かべてその目を見つめた。どこかであったことがあるような気がするその少女は、その顔に怪訝そうな顔になる。

「持って行ってくれるなら、持って行ってくれていいが、生憎とコイツは俺から離れる気が無いみたいなんだ」
「何を巫山戯たことを」
「それに、こんなどうしようもないもので、アンタは何をどうするつもりなんだ?」
「狗根国を討つ。それ以外にない」
 まるで九洲の人間全ての意志を代弁するように、少女は九峪に告げた。

「知らないみたいだから教えるけど、この剣は自ら所有者を選ぶらしい。そして叶えられるのは選ばれた奴の最も強い願望。それを邪魔するものを、コイツは全く容赦しない」
「……聞いたとおりと言うわけだ」

 少女は驚きも見せずにそれだけ言うと、一歩間合いを置いて再び構えた。

「取り憑いてるのは蛇渇だな。だとすればお前の願いをそのまま叶える気も更々無いだろう」
「……知ってるのか?」
「親切な奴が教えてくれた。半信半疑だったが出所が違う情報が一致したなら信憑性がある。だとすれば、やはりお前に鏡をやるわけにもいかないな」

「俺も欲しくはない。だから、逃げてくれないか?」
「……なに?」
「アンタが襲いかかってきたら、俺も自分の身を守りたくなる。そうなると、今は辛うじて押さえ込んでる蛇渇とか言う奴が、俺の体を勝手に動かす。そうなればもうどうにもならない。俺は、日魅子すら殺しちまったんだから」
「…………」

 最悪は回避しなくてはならない。
 今ここで戦うのは愚行中の愚行。九峪はそれを真実望んでいない。少女もそれが分かったのか剣を引き、間合いを取る。

「聞くが、お前どのくらい自分を保てる?」
「……さぁ、な。あと数秒か、それともひと月か」
「半月でいい、なんとか耐えてくれ」

 ――そうしたら、必ずお前を殺してやる。

 慈悲を込めて呟いた少女の言葉に、九峪はありったけの虚勢を含めて笑って見せた。

「わかった。だが、半月以上は絶対に待たないからな。その間だけは死ぬ気で抑える」

「お前、名は?」
「九峪。アンタは?」
「伊万里だ。蛇渇を押さえ込めるだけの男、出来れば違う形で会いたかったな」

 そんな冗談のような台詞を真顔で口にして、伊万里は九峪の前から姿を消した。
 後を追えと、頭の中で蛇渇が狂おしい叫びを上げる。
 何を惚けているのかと、悲願を前にしてのたうつような声を響かせた。

「けっ、誰が、お前の言うこと、なんか……」
 割れるような頭を抑え、九峪は深川を抱き上げる。
 貧弱だった体は炎の御剣の恩恵か、人一人担いでも何の負荷も感じない。

「……さて、本当に半月保たせられるかな」
 その先に待つのが死だけだと言うのに、九峪は希望を口にするように呟いた。

 既に九峪は自分では背負いきれない罪を犯してしまった。
 自分を許す気など皆無であり、求めるものはただ贖罪のみ。
 更なる罪を重ねる前に殺してくれるというならば、それはやはり九峪にとってこれ以上ない希望だったのだ。






 火魅子が戦死。その悲報は瞬く間に九洲中を駆け巡った。
 九洲の民にとっては希望の光を奪われたに等しい。そしてその間隙を衝かないほど狗根国もお人好しではなかった。直ぐさま混乱する耶麻台国に兵を差し向け、電光石火で川辺城を制圧する。同時にその動きに呼応するように天目も動いた。狗根国の侵攻を挫くためと本来耶麻台国領である豊後に侵攻、完全に制圧した。

 結果としては天目のそれは英断であった。豊後の現在で言う別府湾を抑えられたことで、狗根国の大規模な揚陸は不可能となり、拠点としては今ひとつな火向に狗根国軍を押さえ込み、それ以上の侵攻を防いだのだから。

 とはいえそれは他のものから見れば結果論にも映る。結局のところ耶麻臺国と火後にその主権が移った耶麻台国、そして狗根国と三国間で睨み合いの構図が展開されることとなった。

 だが、それも後にそうだと生き残った国の史家が分析したことで、事の当事者達はやはりあり得ないはずの事態に混乱しており、消えた剣と鏡の行方を求め右往左往していた。

 そんな中、志野とその一座は宙ぶらりんになってしまった立場にどう動いていいかも分からず、火後のとある街で興行を行っていた。

「……はぁ」
 日魅子の訃報が入ってからと言うもの、志野はため息ばかり吐いている。小さな座長用の天幕の中で、帳簿を見ながらまたため息。

「志野、入るよ~」
 一方そんな世情などどうでもいいと言わんばかりなのは、一座に居候している忌瀬だった。魔兔族三姉妹が空から降ってくると同時に現れた珠洲と忌瀬。近隣の街まで運んで応急手当をし、座員達が帰ってきてからは一緒に付いてきている。
 それというのもこの一座に兔華乃達がまだいるからなのだが……。

「忌瀬さん。どうかしましたか?」
「少し話でもしようかと思ってね。聞きたいことがあったんだよ」
「……なんでしょう」
 志野は腰を下ろした忌瀬を油断無く見つめる。忌瀬は元来耶麻臺国の人間。天目をいいように出汁にしようとした志野をよく思っていないはずだ。今は一緒にいるとはいえ、立場的には敵に近い。

「いや、興味本位なんだけど、結局志野は火魅子様をどうしたかったのかと思ってさ。復讐を口にしてはいたみたいだけど、このところの様子を見てるとそうも思えなくて」
「……そうですね。もう、終わってしまったのだから誰かに聞いてもらった方が、まだすっきりするかも知れません。聞いてもらえますか?」
「私でよければ」

 忌瀬は笑顔で頷く。それを確認してから志野は話し始めた。本当の思惑。志野の望み。志都呂の最後の願いを。

「座長の、志都呂さんの話は聞いていますか?」
「それとなくね。火魅子様に殺されたって話だったかな」
「ええ。理由はどうあれ、私にとって火魅子様は志都呂さんを、一番いとおしい人を奪った憎い人です。その気持ちを偽る気はありません。でも、仕方がなかったのだと理解できないほど、馬鹿でもないんです」
「…………」
「私も志都呂さんも九洲のために戦うと決めたんです。その途中で命を落としたからと言って、火魅子様を恨むのは筋違い。本当に恨むべきは狗根国ですから」

「そこまで分かっていて、火魅子様に牙を剥くような真似をしたのは?」

「志都呂さんが言ったんです。火魅子様は強大な力を持つ割に、その心はとても不安定で、とても戦争など出来ない優しい方だと。けれど、私たち九洲の民は火魅子様に頼る以外に道は無かったし、それ抜きで耶麻台国復興など考えられなかった。どのみち利用しなくてはならない力ならば、少しでも確実に、少しでも心にかかる負担を小さくしてもらいたい。わかりやすく恨まれる相手がそこにいるなら、力を振るうことに、人を殺すことに何の迷いも抱かなくていい敵がいてくれるなら、火魅子様の力ならば早期に争いを治めることが出来るはず。できるだけ効率よく火魅子様を利用することで、この戦争をいくらかでも早く終わらせたかった。それがあの人の望みであり、私が成したかった事」

 けれど結果はこうなってしまった。戦死した情報は色々な噂が飛び交い、どれが真実かは分からない。が、九峪が関わっていることはどうやら確かなようで、だとすれば二人を志野が引き離さなければもしかしたらこの結末に至らなかったのではないかと。

「このまま耶麻台国が滅びるような事があれば、それは私のせいなのでしょう。結果として、私は志都呂さんの願いを叶えることも出来ず、ただ人々を一層の苦しみにたたき落としたのかも知れません」
「……そっか。そんな事が」
 忌瀬は神妙な顔で頷くと、それから志野の肩に手を置く。

「志野。アンタの駄目なところは全部一人で抱え込むところだよ。結果的にこの一座がいたから、耶麻台国は最悪の状況を免れたとも言えるんだし」
「……それで償いになるとは思えません」
 志野は首を振った。

 忌瀬が言ったのは、火向に向かっていた座員達が、狗根国の急襲から藤那や伊雅といった、火向にいた要人を逃がしたことだ。火向から火後へ抜ける阿祖の間道。芸人一座として九洲中を巡ってきた一座のものだから出来た事。火魅子の死に続いて他の王族まで死なれることがあったならば耶麻台国はもうどうにもならなくなるところだった。

 その功績のために、今なお火後で悠長に一座をやっていられるとも言える。

「私は結局火魅子様が憎かった。九峪さんに会ったとき、私が失っているものをあの人が得るのかと思って、本気で憎くなってしまった。だから、冷静でいられず判断を誤った。私が九峪さんが殺されたように偽装しなければ、あの人は亜衣さんを罷免することもなかっただろうし、そうすれば必ず一人で戦うような真似、あの人が止めていたはず。狗根国はまだ侵攻してこなかったはずだし、それで人が死ぬこともなかった」

 それらの混乱は、全て火魅子の手で、火魅子の力で治められるはずだったのに。その多大な混乱が、逆に早期解決へと続くはずだったのに。

「――私は自分の予測を過信しすぎていた。火魅子様が絶対なのだと、信じてしまっていた。心が弱い、優しい人だと知っていたはずなのに」

 志野がそうしようとしていたように、付け入って利用したり、嵌める事など容易いほどに。

「……しっかりして、志野。そんなのは、きっと皆一緒。誰もあの火魅子様が死ぬなんて考えていなかったし、殺せるなんて思ってもみなかった。そこまで予想していた人なんて、この九洲に一人だっていないわ」
「言い訳にはならないでしょう」
「そうね。でも、終わってしまったことに囚われて、先を見なくなってしまったらおしまいだよ? 志野がその志都呂さんの遺志で火魅子様を利用しようと思ったというなら、それが一番やりたいことだったというなら、他の方法で望みを叶えるのがあなたが今するべき事、なんじゃない?」
「……でも」

 志野は何か言いつのろうとして、唐突に天幕が開いて珠洲が顔を出した。

「珠洲?」
「志野。癪に障るけど、コイツの言うことが正しい。やってたことは火魅子様が死ぬ可能性だってあったし、それでも別に構わないって皆思ってた。志野がどうあれ、私たちにとっても火魅子様は座長の仇だったから。死んだら次の何かを利用すればいいだけ。少なくとも私は、最終的に火魅子様が女王になればいいなんて一度だって思ったことはない」
 きっぱりと言い切った珠洲。耶麻台国関係者に聞かれれば不敬罪で誅殺ものだ。

「そうね。確かに私もそれはそう」
 火魅子は手段に過ぎなかったはずだ。志都呂は確かに火魅子の事を恨むなと、あのとき最後にその瞳で語ってはいたけれど、恨み辛みを別にして、それ以前に志野は志都呂とこの国を元に戻そうと願い、動いていたはずだ。

「ありがとう珠洲。おかげでやるべき事がわかった気がする」
「あ、お礼なら私にも言ってよ」
 忌瀬が笑いながら言うと、珠洲が背後からかかとを落とす。

「痛たぁっ! 何するのよ珠洲」
「うるさい。私の台詞軒並み奪ったアンタが悪い。志野を慰めるのは私の役目」
「別に私だって構わないでしょうに」
「駄目。大体アンタは九峪がいいんでしょ。さっさと探しに行ったら?」
「今行ったら危ないかもしれないでしょうが」
「ふん、本当に好きならそんなこと関係ない」

 言って珠洲は忌瀬の尻にけりを入れて追い払う。

「……志野」
「本当に、ありがとう珠洲」
 目の前に来た珠洲の事を抱き寄せる。

「大丈夫。私はずっと志野と一緒にいるから」
 珠洲は自分からも志野に抱きつき、お互いを確かめ合う。

 しばらくして離れた志野は、まっすぐと見つめる珠洲に言った。

「星華さんのところに行きます。付いてきてくれるわね」
「聞く必要はない」
 ぶっきらぼうに、志野にだけわかる親愛を込めて頷いた珠洲。志野はその顔を見返し、柔らかなほほえみを返した。













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【2007/06/14 19:56】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
深川43
 深川
 四十三話



 泣き叫ぶ九峪を、少し下がった位置で見つめる深川。
 大事なものを自ら刈り取って、どうにもならなくなってしまった状況を嘆く。

 そんな九峪の後ろ姿が、どうしようもなく気にかかった。

 逃げるなら今を置いて他にない。そのことに意味がないことも知っているが、万に一つを考えるなら、それが賢い選択だろう。
 もはや望みを叶える権利は九峪にしか無いことを知り、ただ利用されるだけの深川にとどまる理由など無いはずだ。

 九峪の願いが九峪の理想とする世界だとするなら、そんな場所に自分の居場所はないのだから。

 それでも、なぜ動こうとしないのか。

「……ふん」
 頭を掻いて、他にどうしようもないから九峪に近づく。日魅子を抱えて泣きじゃくるその横に立ち、ひときわ小さく見える体を見下ろす。

「忌々しいな、蛇渇」
 口を衝いて出た言葉はもはやどうでもいいただの事実だった。

 九峪はその言葉に顔を上げ、ただ首を傾げる。

「聞こえてはいるんだろう。全く結局私はお前の手のひらの上で踊っていただけと言うことか。くそじじいめ、全く持って忌々しい」
「……なんの話」
「目の前に危機がなければ眠ったままか。お前がそんなものだと一体誰が知っていただろうな。狗根国に与していたのも結局は寄生する輩を捜していただけか。私に鏡を捜させていたのも、全てはお前の計略通り」
「深川?」
「九峪、悲しむ必要はない。お前の体を使って火魅子を屠ったのは、倭国で一番腹黒いくそ爺だ」

「――光栄に思うがいい、深川。貴様のようなゴミくずが、我が大願を叶えるための一石に選ばれたのだ」
「黙れ蛇渇」
「態度が太いな。そう嘆くこともあるまい? この小僧の願いは事もあろうにお前の幸せでもある。それを叶えるために殺される心配も無くなったのだ。カカ、良かったではないか」
「いいわけがあるか!」
 利用され、殺される心配が無くなったとして、結局深川の目的とするところ、その願いが叶うことは無い。

「そもそも、元がどうだか知らないがお前が九峪の願いを素直に叶えてやると思うほど、私は楽観していない。何をたくらんでいる、蛇渇」
「カカ、その先は鏡を取ってきたら教えよう。逃げるならそれもいいが、今のお前にはそれも出来まい。カッカッカ」

 九峪の顔で愉快に笑った蛇渇は、見透かすようにそう言って、九峪に体を譲り渡した。

「……なんだってんだよ。あいつは、何なんだよ! 深川、俺は――」
「聞かれても答えられないさ。私は蛇渇に逆らうことなど出来ないから、お前を助けることは出来ない。そもそもお前の体に奴が入ってるというなら、ナントカできるのはお前自身だろう。お前が火魅子を殺したことを悔いて自分を殺そうとすればするほど蛇渇は自由になる。人殺しをしたくないなら気を強く持つんだな。それで何とかなるかは知らないが」
 投げやりに言われて、九峪は呆然としながらも頷く。その言葉を噛みしめるように。

「私はこれから鏡を取りに行く。人殺しが本当に嫌だというなら本気で足掻け。でなければ、あいつ等はお前が殺すことになるんだからな」
 湖に入っていく深川の背後では、土埃を上げて耶麻台国軍が突進してくるところだった。

 火魅子を殺されて、黙っていられるわけもなくて。






 ――カカッ、あれだけの力の差を見せられて尚我に挑むか!

 頭の中に響いた哄笑。また、九峪の意識が体から引き離されそうになる。

「や、めろぉ……」
 ――抗うつもりか? 二十年と生きておらぬ小僧の分際で、千年の時を生きてきた我が精神に抗うというか。カカ、無駄よ無駄。

「ふざっ――けんな」
 頭を掻きむしり、何とか自我を引き寄せる。
 押し寄せる人の波。それを、また殺すなど――

「俺は、俺が欲しいのはっ!」
 抗いがたい精神への浸食。裡にどんどんと黒い何かがわき上がり、右手が勝手に動いて炎の御剣を握る。

「うぅ、俺は、俺は、俺は誰も殺したくなんかっ!」
 ずるりと剣は引き抜かれ、嫌な感触だけは九峪にも知覚できてしまう。

「だから、てめぇは――」

 邪魔だと、叫びたかったのだろう。だが……

「カッカッカ、無駄な事よ。お主の願いは叶えるが、どうやって叶えるかは我が裁量。叶えられるのをお主はただ待てば良い。我を否定することは勝手だが、全てはお主の望みが、お主の理想がそうさせているのだ。手段はどうあれ、この世に他人を踏みつけぬ願いなど一つたりとてありはしない。それを自覚するのだな」

 振り下ろされる剣。兔華乃と火魅子を葬り去り、今や九峪を乗っ取り炎の剣をその手にしている蛇渇を止められるものはどこにもいない。

「自己を肯定しろ九峪! お主とて思わなかったワケではあるまい? 誰一人傷つかぬ理想の世界。裏切りも嘘も人殺しも戦争もない世界。そんな歪なものを実現しようと思えば、どれほどの弊害が出ることになるかなど。本来あるべき姿が今なのだ。ならば、それをねじ曲げようと思えば当然どこかにしわ寄せが生じる。今を維持しようとお前に襲いかかる。つまりあれらはそう言うものだ。火魅子も魔兔族もお主の願いを叶えるための礎となったのだ。否定は出来まい? ならば、手を下したのが我だとして、罪はお前以外の誰にもない。我はもとよりただ願いを聞き届け、叶えるだけの一つの道具にすぎんのだからな」

 楽しげに宣って、蛇渇は軍勢に向かって走り出した。正面を切ってかけてくるのは、大きな鉄槌を持った衣緒。
 火魅子を殺され逆上し、あらかじめ言われていた火魅子の指示も忘れて。

 ――否、聞き届けろという方が無理か。
 大部分の人間にとって、百年以上も空位だった正当なる火魅子だったのだ。これで安寧が約束されたと思った。平和な時が戻るのだと信じていた。そのために戦いを選び、家族を置いて兵に志願した者達ばかり。
 その、肝心要の部分を殺された。

 また、元通りか。
 また、苦しい思いが続くのか。
 子供がまた飢えて死ぬ。
 狗根国がここぞとばかりに攻め込んできて、今まで以上に虐げられる。

 その全ての責任は、九峪が火魅子を殺したせいだと。

 それはもはや統制の取れた軍などではなく、ただの暴徒の群れ。
 逼塞した状況を打破できる希望を奪われ、絶望を再び突き付けられて、理性という名のネジが残らず吹っ飛んでしまっている。

 もはや、止めることなど出来ない。

「貴様ぁああっ!!」
 目を釣り上げ、髪を振り乱して大きな鉄槌を振りかぶった衣緒。

 その表情に、九峪は確かに感じた。自分のしたことの罪深さと、憤りを。

 ――なんで、俺はあのときに。

 自分に腹が立った。
 どうしようもなくむかついた。
 出来たかどうかは知らない。だが、自分の体が自分以外に支配されてしまった恐怖に竦んで、日魅子を殺してしまうと言うそのときに至ってまだ、自分は本気で自分を止めようとしていなかった事に。

 どうにもならなかったかも知れない。
 でも、どうにかしなかったのは自分だ。

 ならば、やはり罪は自分にあり、同じ事を繰り返す事は許されない。

 ――何が千年だ!

「ぐ、ぬ」
 蛇渇が異変に気づき呻く。

「なめ、る、なぁ――」
 口から漏れた声は、一体どちらのものか。ただ――

「十六年しか、生きてないからってなぁ……」
 続きに漏れたのは確かに九峪の言葉。

「千年、シコシコ腐ってた奴なんかに――、俺が負けるかぁっ!!」
 ――貴様っ!!

 九峪は全力で歯を食いしばると、土煙を立てながら足を止め、惰性で滑りながらも剣を振りかぶり、地面に向かって思いっきり斬りつけた。

「どおりゃあああああっ!」

 軍勢を囲むように光の壁が走り、同時に猛烈な突風がその侵攻を阻んだ。

 喚声も、足音も、衣擦れの音すら消え、鳩が豆鉄砲を喰らったように、動きは止まった。

「はぁはぁはぁはぁ」
 未だ支配権を得ようと藻掻く蛇渇を裡に抑え、荒い息を吐きながら尻餅をついている衣緒に視線を向けた。

 手を伸ばせば届きそうな距離。
 本当にぎりぎりだった。光の壁は剣の太刀筋。九峪と耶麻台国軍の間には断崖が作られている。

 この一撃が、今目の前にいる者達を殺すはずだった。

 だが、それは止めた。止められた。こんなにも恐ろしい一撃でも、九峪には止めることが出来た。

 殺さずに済んだもの。
 
 失わずに済ませられたもの。

 それを――九峪は。

「く、たに、さん」
 かすれる声で衣緒が名前を呟いて、九峪は溢れてきた涙を無造作に拭いて、踵を返した。

「衣緒。日魅子を丁重に葬ってやってくれ。本当に、済まない」
「何があったんです! なぜ、なぜあなたが火魅子様を」
「……関わるな、もう。次も止められるかは分からない」
「何処へ?」

 訊ねられた質問。それと同時に都督から立ち上っていた光の柱が消えた。

「…………」
 九峪は答えずにその場を去った。

 その背中に、ありったけの後悔の念をにじませながら。













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【2007/06/10 21:37】 | 小説 | コメント(0) | page top↑
深川42
 深川
 四十二話



 この国に居場所を失った。同じ境遇を持つからだろうか、その者達が出会ったのは。
 そこにそれが降ってきたのは多分大いなる偶然。
 必然があったとすれば向かう先が一緒だったと言うことだけか。

「亜衣さん」
「志野」

 火後へ向かう街道で偶然にも出会った二人。亜衣は川辺を追放された後、仕事の引き継ぎはしなければならないと、律儀に美禰で残務整理すること数日。ようやく一段落したので、星華のいる火後へと戻ろうとしていたところだった。

 一方志野は情勢を予見し、自分の身の危険を感じて耶麻臺国から火後に落ちてきた。一座の者達はやってもらうことがあったので今この場にはいない。志野自身、火後でやるべき事があった。

 目的地が同じならば出会ったのは必然。志野を利用し日魅子に揺さぶりを掛けた亜衣からすれば、九峪殺人未遂の容疑者である志野を捕まえる事も考えられないし、国政に戻るためとはいえ今は時期が悪かった。何より一騎打ちをすれば亜衣より志野が強いのは明白で、逆に命を狙われる危険すらある。

 志野はこんなところにいるはずもない意外な人物に会ったことに目を丸くし、やはり自分を捕まえるべき立場にある亜衣に警戒心を抱く。

 しばらくじりじりとにらみ合いを続けていた二人だったが、それを遮るようにそれは降ってきた。

 隕石のように二人の間に降ってきたそれは、鈍い音と土埃を舞上げ、二人の緊張状態をぶちこわした。
 同時に、興味を完全に逸らしてしまった。

「これは……」
「魔兔族?」
 二人で顔を見合わせる。見間違えようもない魔兔族三姉妹。全員そろってぼろぼろで、とても生きているようには見えない。

「……亜衣さん。手伝ってもらますか?」
「ああ」
 とにかく見なかったことにして放っておくことが出来るほど、二人とも太平楽でも無頓着でも無かった。
 同時に二人とも目的のために自分を抑え論理的に行動できる頭の回転の速い人間でもある。やるべき事は二人の中で決まり切っていた。

 まず、三人を仰向けに寝かせて状態を確かめる。傍目に見て死んでいるかと思った三人だったが、全員しぶとく生きていた。呼吸はか細く脈も弱かったが、生きてはいる。

「誰がやったんでしょう? この三人をこんな目に遭わせるなんて」
 志野が難しい顔で言うと、亜衣は肩をすくめる。

「さて。出来るとすれば火魅子様くらいだろうが、火魅子様は兔華乃だけには叶わないとご自分でも言っておられた。だとすれば、それ以上の力をもった輩がこの九洲に現れたと言うことか……」
「……」
「どうした? 志野にとっては朗報じゃないのか? 志都呂の仇を討てる奴が、ようやく現れてくれたって事だろう?」
 見透かしたように言った亜衣だったが、志野は辛そうな顔で首を振る。

「困りました。こんな事態は想定していない」
「?」
 志野の悩みが、その真意を知らない亜衣には分からない。

「とにかく、こいつらをどうするかだな。兔華乃一人くらいなら兎も角、さすがに三人を私たちだけで運べないだろうし」
「そうですね。せめて後二人くらいいれば、近くの村くらいまでは運べると思いますけど」

 何が起こったのか。こんな真似をしたのがどこの勢力で、味方になるのかならないのか。二人にとってそれが最大の関心事だけに、この魔人達を放置する気にもなれない。

「まぁ、この状態なら薬師もいなければどのみち直ぐに野垂れ死にかもしれないが。ふむ、とにかく人を呼ぶか。このままでは埒があかない」
「そうですね、人を――」

 そう言って振り返った志野の視界に、体のいい人手が映った。
 志野のよく知った少女と、あつらえ向きに薬師の女。

「こいつらもよくよく悪運が強いと見える」
 半ば呆れながら、出来すぎた状況に亜衣は苦笑して見せた。






 腕が飛び、足が折れ、胴がちぎれ、頭が微塵と化す。
 数百の肉塊は僅か数秒でできあがった。五体満足な者など皆無。再び戻った地獄に立つのは時の彼方で親しかった男と女。

 一度は死別と嘆いた思いは遠く彼方に霞んでしまった。
 目の前にいる殺戮者が一体誰なのか、それが分からなくなりそうで、霞む幻影を見定めようとするように、日魅子は目を細めて九峪を凝視していた。

「温いぞ火魅子。天魔鏡は神器。卑しき民など触れようと考えることすら烏滸がましい。まして斯様にお前を出し抜こうなど、死して償うより他に道などあろうか」
 そう言って、楽しげに顔に張り付いた臓物を振り払った男は、やはり九峪には見えなかった。少なくとも、日魅子の知っている少年ではあり得ない。

「九峪……、いえ、炎の御剣」
「カカ、そんな名で呼んではこの男が嘆くぞ」
「……でも、あなたは九峪なんかじゃない。だたの願望の代理人。剣を持つものの願いを聞き届けるだけの、ただの受動器」

 神器と呼ばれる鏡と剣は、それぞれに精神を宿している。或いはそれ故に"神"の名を冠しているのかもしれない。

「剣の御霊は所持者として資格ある者に宿り、その者の最たる願いを聞き届け、それを叶える。でも、九峪に宿ったのは一体いつ? 私の前に現れたときは既にあなたは九峪に宿っていた。はじめは深川がそうしたのかとも思ったけれど、元来剣の御霊は所持者以外を媒介しない。深川の手から九峪に宿るわけがない。あるとすれば、九峪が偶然剣をその手にしたとしか」

 しかしそれもまたあり得ない。九峪はずっと深川や兎奈美と一緒にいた。一人で行動した事など無い。

 九峪は剣を地面に突き立てると、わざとらしくため息など吐いてみせる。

「やれやれ、千年に渡り知識と力をため込んだ姫御子の御霊を宿すお主にも分からぬか。それとも分かりたくないだけか? 我は所持者以外には触れられぬ。ならば、一体いつどうやってこの世から姿を消したというのだ?」
 嘲笑を浮かべ、顔色を変えない日魅子を満足げに見つめ、続きを口にする。

「我が精神は天魔鏡のそれより強固にして堅牢。精霊として人の姿を借りることすら容易い。幾星霜待とうとも現れぬ宿主を求めて、耶麻台国の宝物庫から抜け出したのはそう、確か三百年ほど前だったか」

 日魅子は頷く。全てを納得したというように。

「そして宿主を捜していたのね」
「そうとも。出来るだけ積極的に、自ら率先して資格を持ちうるものを捜し出すためにな」
「……肝心の、九峪にはいつ?」
「何、ふと思い出したのよ。我を持つ資格を持つものは、すなわち天界の扉の前に立つ資格を有する者。ならば、我の前ではなく、天魔鏡の方に現れるのではないかとな。この世が必然に満たされているならば、それが道理というものだ」
「つまり、はじめから」
「そうとも。全て我が千年の宿業を果たすため」

 炎の御剣にとっての存在意義。千年の間にそれは既に呪いと化したのか。日魅子に感じ取れるのは陰惨とした怨念だけ。

「火魅子よ。邪魔だてするのであれば我を造りし者の末裔と言えど、容赦はせぬぞ」
「……最後に答えてもらうわ。炎の御剣がその資格を持つものにしか持てぬように、天魔鏡の神器も資格あるものにしか持つことは出来ない。それを知っていてここを通るつもり?」

 九峪は笑った。乾いた声で、勝ち誇るように高らかと。

「カカカ、火魅子よ! お主は耳が聞こえぬのか? それともこの男のように惚けた頭でもしているのか? 我は確かに言ったぞ。この三百年、宿業を果たすためだけに生きてきたのだと!」
 その質問は愚問だと、九峪の声で笑った剣の御霊。

 その背後から深川が歩いてくる。
 今や全てを知り、逆らうことも逃げ出すことも諦めた、敗者の顔を貼り付けて。
 忌々しげに、火魅子と九峪を見つめながら。

 日魅子は問答を終え、剣を引き抜き近づいてくる九峪を見つめ、その姿を見たくないと目を瞑り、昔日の九峪の顔を瞼の裏に思い浮かべた。
 優しく笑いかけ、虐められた自分を慰めてくれた九峪の顔。

 涙が勝手にあふれてきて、のどの奥からせり上がってきた何かを無理矢理押さえ込んで、ただ、ただ九峪に謝った。

「ごめんなさい」
 呟くと同時にスイッチが入る。
 日魅子は火魅子の思考に塗り込められ、目の前の脅威に全能力を解放させた。

「カカ、やはり立ちはだかるか、姫御子よ!」
 楽しげに笑い、突っ込む九峪。

「痴れ者め! 造物主に牙を剥く愚かしさ、その身に刻み込むがいい!」
 日魅子の眦から宙に舞った涙がひとしずく、自らが放つ熱波に一瞬で蒸発した。
 目の前に現れた灼熱の火球。余熱だけで大地が沸騰し、都督への橋が燃え上がる。

 人など瞬時に蒸発させる炎の固まりと、突進する九峪の姿が交差する――


 ――その刹那、火球が嘘のようにかき消える。

 剣を突き出したまま、突っ込んでいた九峪の瞳に、泣きながら笑っている日魅子の顔が映った。


「やっぱり私に九峪は殺せないや」


 剣の御霊に抑圧されながらも、一部始終を見せられていた九峪は、日魅子がそう言っているのがはっきりと分かった。

 一年二年のつきあいじゃない。毎日毎日顔をつきあわせて、何百時間も話をして、笑いあって泣き合った幼なじみの表情を、間違えられるワケがない。

「ひ――」
 名を呼ぶ暇はない。

 神速と言って差し支えない速度で九峪は突っ込んでいたのだ。目の前に障害がなければ、刺し貫くのに一秒もいらない。

 無骨で趣味の悪い黒塗りの剣は、日魅子の中心を容赦なく貫いて、体をくの字に折り曲げる。

「――み、こ」
 最後の最後で、戻った体の制御。でなければ炎の御剣の一撃は日魅子の体を切り裂いただけでは済まずに消滅させていただろう。

 だが、そんな結果がなんの慰めになると言うのか。


 のしかかってくる、日魅子の体。
 
 握った剣を伝って、手から腕に腕から体に、血濡れになる。
 
 なま暖かい感触。
 
 こわばった手が血に滑って、剣から離れ、同時に日魅子の体は地面に転がった。


 横になった日魅子の体には、なんの悪い冗談か黒光りする剣が刺さっていて、溢れた血が灼けた地面で蒸発して嫌な臭いを運んできて。

「日魅子……」
 そっと手を伸ばして、華奢な体を持ち上げる。剣が邪魔だったけど、抜くのは怖くて出来なくて。
 
 あまり熱くない湖岸の地面にもう一度横たえて、表情を無くした顔を見つめる。

「う、あぁ……」
 こみ上げてくる、名状しがたい感情の本流。

「あぁ、ああぁぁあ……」
 無様な嗚咽。

「うわぁあああああああああっ!!」

 叫びは、虚しく周囲に響いた。













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【2007/06/03 20:07】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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