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深川55
 深川
 五十五話



 片野城での死闘の後、星華は正式に火魅子を襲名し耶麻台国健在を宣言した。負け戦の雰囲気が濃厚だった耶麻台国も、士気が回復した事で盛り返し、年内には火向の奪還も可能であろうと言われている。
 その主たる要因は星華の変化にあるだろう。蛇渇との死闘が終わった後の星華は、まるで別人になってしまったような有様だった。本人にしてみれば火魅子という地位に関して気負う事が無くなっただけと言っているが、それを信じるものは少ない。羽江や衣緒は、街を壊滅させるほどの大立ち回りをしたおかげで、日頃のストレスが一気に発散されたのだとまことしやかに話し合っていたりもする。
 実際には継承を続ける内に火魅子御霊の中に降り積もった様々な感情が薄れ、本来の星華に戻っただけではあるのだが。

「……で、亜衣は戻ってくるつもりはないのかしら?」
 星華の当面の気兼ねは耶麻臺国に下った亜衣の事だ。元々教育係として星華をしつけてきた、姉のような存在なだけに、その裏切りはやはり相当気にかかるらしい。
「ええ。多分姉様も戻るに戻れないというところなのだと思いますが」
 嘗ての星華を基準に亜衣が考えている以上、いくら今の星華がお咎めは無しだと言っても怖くて帰ってこられないに違いない。衣緒は姉の心境が手に取るように分かったが、元々何の手みやげも無しに戻ってくるような厚顔無恥な性格でもないので、これには少しばかり時間がかかるだろうと予想していた。

「それなら、当分耶麻臺国との間での折衝として働いて貰うしかありませんわね。ふぅ」
「それと藤那様ですが、早く火向への進軍命令を出せと相変わらず猛っておられます」
「藤那が? 全く手柄を立てて立場を逆転したいなんて、浅ましい権力欲をまだ持っているのかしら。困ったものだわ。戦況を見て仰って欲しいものですが」

「いっそのこと向かわせてしまっては如何ですか?」
「駄目です。いたずらに兵を損じる事になります。期を見て一大攻勢をしかけますからくれぐれも勝手な行動を取らないよう、全軍に周知するように」
「わかりました」
 他にも細々とした報告を上げる衣緒の声を聞きながら、星華はぼんやりとあの戦いのなかで何時の間にかいなくなってしまった人の事を考える。今では何処に行ってしまったのかわからないが、できればもう一度会いたいと思っていた。今ならば、なぜ日魅子が彼女を重用しようとしたのか、その気持ちも分かる。

 とはいえ、表向き彼女はこの国にとっての恩人にして最大の裏切り者。遣いどころが今となっては難しすぎる。

「必要とあれば呼ばれずとも来てくれる事でしょうけど。彼女も随分とお節介のようですから」
 遠い目をして呟いた星華に、衣緒はやっぱり駄目なんじゃないかこの人、と妙な不安を感じるのだった。






「くしゅん」
 一つくしゃみをして首を傾げる志野。
「あら風邪? 寒くなってきたものね。はい、高麗人参を煎じたものよ。これを飲めば風邪なんて直ぐ治ってしまうわ」
「どうも、兔華乃さん」
 志野は今一座の面々と共に兔華乃の住まう阿祖山中で療養していた。志野自身は結局九峪に助けられてそれほど大した怪我では無かったのだが、珠洲の方は紛れもない重傷で、完治までは当分かかりそうだった。今も直ぐ後ろで伏せっている。

「それにしても、今回の事はなんだかくたびれてしまったわね」
「……ええ」
「結局何もかもがうやむやになってしまって、皆が勝手にアレコレと動き回ったおかげで明確な決着すら無かった。結果的に誰も得をしなかった。なし崩しに終わって残ったのは空しさだけ」
「それでも、終わってくれました」
「そう、何かが終わったのはどうやら確かなようだけど」
 そう言って兔華乃は高麗人参を煎じた茶をずずっと啜り、幸せそうに吐息を漏らす。

「貴方はこれからどうするつもり?」
「何かが終わっても、私がしてしまった事の罪は消えません。この九洲が平和になるまで、何かしらやっていくのだと思います」
「そう。ご苦労な事だわ」
「兔華乃さん達は?」

「私たちこそ変わらないわ。ここで高麗人参を育てて、時々暇つぶしに里に様子を見に行くくらいなものよ」
「そうですか」
「……いらない忠告だと思うけど、一つだけ言わせて貰うわね」
「何でしょう」
「貴方が罪のためだと過去に囚われてこれからも動くなら、また間違いを繰り返すわよ。もう少し、貴方は今を見た方がいいと思うわ」

「……考えておきます」
「考えておいて。まぁ、人間そんなに直ぐ変われるものでもないけれど」
「そうですね。困ったものです」
「本当に、困ったものだわ」

 小さな庵にお茶を啜る音だけが響く。これからどう動くにせよ、今この場はなんとも平和な空気に満たされていた。






「清瑞ちゃ~ん、面会だよ」
 耶麻臺国の座敷牢。ごたごたが続いたおかげで宙ぶらりんな状態が続いていた清瑞の身柄に、この日ようやく変化が現れた。面会人を連れてきた虎桃。清瑞はその面会人を見て目を見開く。

「い、伊雅様!? なぜこんなところに」
「清瑞。無事であったか」
 伊雅はあまりのうれしさに泣きたくなるのを何とか堪え、鼻を啜りながら格子の前に座り込んだ。
「不憫を掛けたな。本来であれば直ぐにでも救出に向かうところだったのだが、耶麻台国も大変な状況だったのだ。すまぬ」
「頭を上げて下さい。一回の乱破に伊雅様ともあろう人が頭を下げるなど」
「言うな。お前はもう乱破ではない」
「は? いえ、しかし私は……」
「お前は私の娘。もはやそういう事なのだ」
「伊雅様?」

 困惑する清瑞。そこに状況を補足するために虎桃が軽い感じで説明を加える。

「耶麻台国の方はいつまで経っても清瑞ちゃんの救出に乗り出す気配がない。そこで天目様が伊雅様に声をかけたのよ。耶麻臺国に来てくれるなら、清瑞ちゃんと伊雅様に相応の待遇をお約束します~ってね。天目様としても耶麻台国王族としての正当な血筋がいてくれれば、九洲の支配もしやすくなるし、大義名分も立つでしょ? まぁ、画策したのは別の人なんだけどさぁ」
「……虎桃、いきなり全部言っても理解できないだろう」
 そう、口を挟んで来たのは亜衣。

「あ、亜衣さん。あなた……」
「よく考えろよ清瑞。最早火魅子独りに頼った国の維持など不可能なのだ。そもそも、次代の火魅子は存在しえない。星華様が良くても次は続かない。盤石な体制を望むならば、現政権の打倒こそが九洲にとっての最善。だからこそ、あらかじめ言っておくが伊雅様もお前も擁立するわけではない。あくまで協力願うだけだ」
「……しかしそれは裏切りだ」
「結果的に生まれてくる未来の九洲の子等に対する裏切りになるのはどちらか。火魅子に依存したままの体制で、星華様が亡くなった瞬間崩壊すると分かり切った国を残すのが正道か? 私はそうは思わない」

「それでも、貴方は星華様の後見人でしょう?」
「……いずれ、星華様は直接私から話をする。その上で対立するなら――」
 亜衣は誤魔化すように笑って踵を返した。
「耶麻台国が火向奪還に動くまでは待つ。それまでに答えは出しておけ」
 清瑞はその後ろ姿を見つめ、難しい立ち位置に立たされた自分が、どう動くべきなのか考えるのだった。






 九洲の動乱の気配は当分止みそうにもなく、人々の困窮は続く。船上から遠く離れていくその場所を見つめる深川。最低な事と最高な事があった地だが、おそらくはもう二度と踏み入れる事はないだろう。戻っても余計な混乱を招くだけだろうし、深川の居場所など何処にもない。いや、そもそも今の深川に居場所など無いが。
「大陸に渡ってアテはあるのか?」
「大丈夫、かどうかは分からないけど、まぁなんとかなるでしょ。大丈夫よ私この歳まで独りで良く行ってたし。このメンツなら万に一つも無いでしょうよ」

 背後で聞こえる声に、振り返る。そこには何の酔狂か、深川に着いてきた二人の女がいた。

「深川~。あまり体冷やすと体に悪いよ。もう貴方一人だけの体じゃないんだから」
 そう言って茶化すのは忌瀬。
「そうだぞ。あらゆる願いより優先したものだろう」
 伊万里が付け加える。

 深川は小さくため息を吐くと、外套で体を覆って船の縁に腰掛けた。

 深川は結局、天界の扉を開かなかった。九峪との愛の結晶を犠牲にする事が躊躇われたから。自分の人生を翻弄し続けたその元凶に到達することを恐れた。理由はいくつかあっただろうが、本当のところは本人以外には謎だ。ただ、事実として深川は生きる事を選んだのだ。

『それは貴方に預けておくわ。どうせ他の人に使えるものでも無し。預かろうにも私じゃ預かれないしね。一時の気の迷いという事もあるかも知れないから、落ち着いて考えてから決めるのもいいんじゃないかしらん?』
 寝太郎はそんな事を言っていた。結局寝太郎の目的はキョウと蛇渇の消滅だったらしく、他の事に興味は無いと言わんばかりだった。

 そんなわけで、深川は今天魔鏡と炎の御剣を持っている。伊万里はそのお目付に付いてきて、忌瀬は相変わらず気まぐれで。

「でも、九峪も損な役回りだったわよね。あんた見たいな外道を改心させるのに命掛けたんだから。物好きって言うか、なんていうか」
「私はうらやましい生き方だと思うが。何か一つだけでも身命を賭して成し遂げる事が出来たなら、存外幸せだったんじゃないかと思う」
「私にはその感覚分からないわ」

 好き勝手な事を言っていると、深川は思った。別に腹は立たなかったが九峪の本心はそんなんじゃないと、教えてやろうかと思いやめる。そんなことは自分だけが分かっていればいい事で、自分以外に理解して欲しい事でもないのだと。

 ――あいつは別に自分の境遇を嘆いちゃいないさ。不満だったろうし、やりきれなかっただろうが、それでもそんな事で絶望できるほど、救いのある人間じゃなかったんだから。

 だから、もし死んだ後でも口がきければ必ずこういっただろう。

”あー、ったく死んじまったよ。ってか有り得ねーだろ。ここで死ぬとか。空気読めよ星華。せっかくのハッピーエンド台無しにしやがって。でもまあ、死んだのは仕方がないしなぁ。おい深川。だから、しょうがないから後はお前が頑張れよ。俺はいなくなっちまったけど、でも、俺の味方を公言するってんなら、俺の味方でいてくれるって言うなら、分かるだろ? うん、じゃ、そう言うことだ”

 多分、そんなものだ。あの楽観主義は死んだくらいで治るものか。そんな九峪に惚れて、共に生きると願ったなら、悔しいが後を追って死ぬ事だって許されやしない。自分の命を賭けて生き返らせるなど論外。

 ――まぁ、いいさ。

 九峪は願いを叶えてくれたのだから。
 下腹をさすりながら、深川は思う。

 ――会いに行くが、それは暫く後の事だ。それまで、先に逝った日魅子と懇ろしていろ。

 深川は幸せそうにほほえんで、それを見た忌瀬と伊万里もつられてほほえむ。



 数年の後、九洲はとある国家の元に再統一される。

 しかし、それはこの物語とは関係のない話。

 後には、母と子の記する必要がないほど幸せで平和な、なんでもないただの日常だけが続いていく――














【2007/09/02 20:24】 | 小説 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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コメント
流石に九峪死ぬとはw
次の作品楽しみにしとりまー
【2007/09/08 22:05】 URL | うわぁ #-[ 編集] | page top↑
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